第53回全国高等専門学校ラグビー大会2回戦
▼1月5日▼神戸・ユニバー記念競技場
奈良(近畿代表)14−15仙台・名取キャンパス(東北第一代表)
※前半7−5、後半7−10
10校が参加する第53回全国高等専門学校ラグビー大会(通称:高専大会)は1月5日、神戸市のユニバー記念競技場で2回戦4試合があり、大会最長の5連覇を狙う第1シードの奈良がノーシードの仙台・名取に14−15で敗れた。
この一戦は高専界のゴールデンカードだった。5連覇を狙う奈良に、宮城工専時代を含め大会最多14回の優勝を誇る仙台・名取が挑む構図だった。
奈良のジャージーはエンジ。対する仙台・名取は白。その波に飲まれる。わずか1点差で初戦敗退となった。ある者は枯芝に膝をつき、またある者はがっくりと肩を落とす。チームは泣き声に包まれた。
監督の森弘暢は唇をかむ。
「5連覇と言うよりも、敗戦に対する悔しさがあります。力を出し切れませんでした」
その目は赤かった。
30分ハーフの試合終了1分前までは14−10で勝っていた。仙台・名取のSO高橋太輝がゴール前に蹴ったパントがワンバウンド。捕球者の頭を超える。その白い楕円球が走り込んで来たSH佐野弘太の胸にすっぽり収まる。そのままゴールラインを越えられる。
勝利監督の柴田尚都はきょとんとしていた。
「なんで勝てたかわかりません。運じゃないですか」
いわゆるラッキーバウンド。狙って蹴れるものではない。諦めずに追いかけた佐野に勝利の女神がほほ笑んだ。
ただ、試合全般を通して、奈良が力を出せなかった要因はある。
「仙台は伝統的にフィジカルが強い。今日はその強みをこちらが崩せませんでした」
森は言葉を絞り出した。
前半3分、仙台・名取に最初のトライを奪われる。CTB今野楓弦(こんの・かいと)にスピードで外を割られ、さらにハンドオフで前進される。最後は主将NO8の水野龍星のタテ突破にタックルは弾かれた。後半8分の2本目の失トライも6次攻撃から水野の突っ込みを止められなかった。
仙台・名取は奈良より先に4連覇を達成した歴史がある。44〜47回大会だった。ただ、直近の2大会では初戦負け。柴田はチーム再建の軸にコンタクトの強化を据えた。1対1のぶつかり合いなど、春先は特に従来の倍以上、1時間を費やした。その格闘技的部分の進化に奈良は後手を踏む。
さらに奈良には部員不足という慢性の悩みが横たわる。選手は昨年より3人減の20人。メンバー表の25人の枠が埋まらない状況は続く。試合形式の練習ができなければ、その実戦感覚は劣ってしまう。
柴田は奈良をいたわった。
「連覇をしても部員は増えないんですよ」
指揮を執る仙台・名取も4連覇の時に同じような経験をしている。
そもそも、高専を志望する中学生はラグビーを考えて入学しない。5年間で、理系の専門的な勉強を積み、技術者の卵として就職したり、4年制大学に編入する。人生が確約される点も含め、偏差値は軒並み高い。
奈良も仙台・名取もスポーツ推薦はない。奈良には地元のラグビースクールでの経験者が進む道筋はできてはいるが、入学は保証できない。本人の努力が必要だ。そして、その経験者の人数は限られている。一般生徒の入部はチーム力維持のためには必須だ。
奈良は昨年3月、8人が卒業で去り、今年は1年生が7人入部した。しかし、そのひとりと4年生のひとりが勉強のために退部した。森はこの3年間を振り返る。
「コロナのため、積極的な勧誘活動ができませんでした」
話しかけたり、ビラなどを手渡すことははばかられた。「数は力」。その実現は難しい。
奈良、仙台・名取とともに、「高専ラグビーご三家」と呼ばれる神戸市立の監督、小森田敏は専門的な観点から解説する。
「奈良はCTBの2枚が卒業で抜けたのが痛かったですね」
筑波大出身の小森田は開催県の代表として、この大会の世話役を長年つとめている。
その2枚、島津雄斗は天理中出身。キッカーだった。藤田勝也は経験者ではないが、中核を担った。ミッドフィールドの強度は昨年より下がり、そこを最初のトライで今野に突かれた。島津は広島大、藤田は豊橋技術科学大の3年生にそれぞれ編入している。
今回の対戦は抽選の妙もあった。仙台・名取は前回大会の初戦で準優勝する久留米に26−32と競り負けた。そのため、前回大会の4強がそのまま選ばれるシードから漏れ、この両チームの激突が初戦に来た。
この2校の高専大会における通算成績は奈良の5勝12敗となった。仙台・名取の4連覇の時は決勝で対戦。すべて返り討ちにあったが、神戸市立の優勝をはさみ、奈良は48回大会から同じ4連覇の王朝を築いていた。
保健・体育の教授でもある森は陸上出身。奈良教育大でラグビーを始めた。独学で競技を勉強し、近畿地区のU17の代表監督をつとめたりした。いわば努力の人である。
「また、出直してきます」
そう言い残し、戦いの地となった神戸ユニバー記念競技場を離れた。
高校ラグビーでも、戦後の1948年(昭和23)、新制高校になってからの全国大会連覇の最長は4。啓光学園(現・常翔啓光)が2000年初めに作った。この世代にはこの数字がひとつの関門なのかもしれない。