ラグビーリパブリック

【コラム】明日なき者に明日はくる

2022.12.08

12月4日の早明戦。舞台は国立競技場(PHOTO/JERFU)

 近刊の『女子サッカー140年史』(スザンヌ・ラック著、実川元子訳、白水社)を読んでいたら、米国の腕利きコーチのこんな発言が見つかり、日本の学生ラグビーのあり方に思考は飛んで、つい小膝を打つ感じになった。

「アメリカの大学では多くの選手たちが、勝敗のプレッシャーにさらされます。アメリカの選手たちがほかの国の選手たちと異なるのは、勝利のメンタリティーをたたきこまれている点です」

 興味深いのは比較対象である。サッカーの発展途上国にあらず。イングランドの「マンチェスター・シティ、アーセナルやチェルシーの女子チーム」のごとき「欧州の一流クラブ」に入団した者なのだ。

「十七歳から十九歳」でトップ級の集団に招かれれば「ポゼッションの能力やプレーのスピードは向上するし、戦術面も磨かれていく。でも彼女たちが試合の勝ち負けに責任をとることはない」。育成期間と母校の代表の違いだろうか。

 乱暴を承知で結びつけると、大学ラグビーの魅力もそこにある。すなわち目の前の勝負に全力を傾ける。原則4年という限りがあるので喜怒哀楽のような感情は凝縮される。

 プロやそれに準ずるクラブよりも、すそ野の広い分、多くの人間に「あとのない公式ゲーム」の場は与えられ、スキルや体力や戦術の総体に収まらぬ「勝負という競技」を体験、のちの糧とできる。

 先日。中央大学と専修大学の入れ替え戦出場をかけた関東リーグ戦2部の大一番を観戦した。あれは中央の卒業生だろうか、どこかの社会人でプレーするらしい青年がつぶやくのを聞いた。

「やっぱり大学ラグビーはいいなあ」

 眼前では、やがて劇的フィナーレを迎える攻防が展開されている。「8点差をつけて勝てば」中央、そうでなければ専修が2位を確保する。残り約10分、スクラムやタックルに気迫をたぎらせる前者が24―3でリード。ところがラックのあたりをスルスルと後者が抜けてGも決めた。たちまち緊迫が襲う。さっきの「24―3」とは「8点ファクター」を考慮すると実は「13―0」であり、これで「13―7」。そして「13―14(実際のスコアは24―17)」という結末へ。

 全国のファンの注目する激突ではない。しかし、あの場にいた選手、ことに4年生にとっては忘れがたく強烈な時間である。クラブの老若の卒業生の声援を浴びながら、みな勝ち負けに責任をとっていた。

 12月4日の98回目の早明戦。ふと「次」の影のようなものが芝生をよぎった。はっきり書けば、ここまでの歩みでは挑む側のはずの早稲田のタックルに殺気が足りない。ブレイクダウンの圧力で上回り、35―21で逃げ切った明治も無慈悲な追い討ちの姿勢にやや欠けていた。

 もちろん真剣勝負だ。白星と対抗戦2位の立場をつかもうと体を張っている。しかし、そうした次元を超える「俺たちに明日はない」という切実な攻守には届かなかった。
 
 事情は察する。なにしろ「次」が控えている。21日後の全国大学選手権準々決勝における再戦の可能性は低くない。「明日はある」のだ。

 手の内を隠す、という計算よりも、なんというのか「この時点の力のままぶつかる」心理が働いた気がする。早明戦の醍醐味は、不利とされる側が突然殻を破り、駆け倒し、観客や視聴者の感情を「ラグビーの青春とはいいもんだなあ」と揺さぶるところにある。

 人間の自然な感覚(21日後にまた当たるかもしれない)のおよぼす影響を理屈で変えるのは無理だ。ひとつ唱えるなら、今季の学生シーンの先頭走者は帝京大学であるのだから、すでに対抗戦で敗れた明治や早稲田がチャンピオンたるには、大きく伸びなくては追いつけない。そのためには本当の決勝を終えるまですべてファイナルの覚悟で連戦を進むほかはない。早明戦もそうではなかったか。

 12月11日。秩父宮ラグビー場で東洋大学が早稲田と対戦する。今季リーグ戦1部昇格のクラブとっては明確に「決勝」だ。対抗戦の伝統校が「次の明治戦雪辱こそファイナル」ととらえたらチャンスもめぐる。かたや赤黒ジャージィが「俺たちに明日はないから明日がくる」決意でこぼれ球にむしゃぶりつけば、ひとつ上の階に居場所ができるだろう。