「長かったです。でも、振り返ってみるとあっという間だったかもしれません」
國學院栃木の絶対的エースは、空白の8か月間をそう表現した。
3年生FBの青栁潤之介がこの夏に大ケガから復帰した。
スピードと体幹の強さを兼ね備えた世代を代表するラインブレイカーだ。昨年度の花園では2年生ながら同期のSO伊藤龍之介(現主将)とともにチームを牽引、同校に初の準優勝をもたらした。
大会中に青栁がゲインラインを突破した回数はとても数え切れない。東海大仰星との決勝でも、自陣からロングゲインを何度も決めてチームのピンチを救っていた。
しかし、そのファイナルで悲劇は起きた。
後半9分過ぎ、自陣からランを仕掛けるも、ハーフウェイライン手前でタックルを受ける。ラックを作り次のアタックにつなげたが、青栁自身はそのまま倒れ込んで動けなかった。
「その瞬間のことはよく覚えてないです。けど旅館に帰った時にみんなからすごい音が鳴ったよと」
すぐに医務室に運ばれ応急手当を受ける。その後すぐに車いすを手配してもらい、ベンチ横で仲間を見守った。試合は終盤で、仰星がトライを畳み掛けていた。
「花園の決勝は特別な場所で、本当にラグビーをしていて楽しいなと思える場所でした。それと同時に悔しさも、もどかしさもありました。自分がグラウンドに立っていればもっとできたと思うし、もっとプレーしたかった」
重傷だった。診断名は「長くてよく分からない」。足首あたりの腓骨を粉砕骨折し、脛骨も骨折。靭帯も損傷した。
「普通に生活してたら絶対にしないケガ(笑)。はじめは10か月くらいかかると言われて絶望しました」
それでも懸命なリハビリを続けて、事態を好転させる。2か月ほど早まり、夏合宿あたりで復帰できそうなメドが立ったのだ。
家族の支えも大きかった。
「兄(龍之介・帝京大2年)も同じようなケガをしたり、父親も現役の時にケガをしていて、いろんなアドバイスをもらえた。心の支えになったと思います」
全国選抜大会後にプロテクターが外れ、5月にウォーキング、6月にジョグ、7月にランニングと、徐々に負荷をかけられるようになった。夏合宿前にはチームの練習にも合流できた。
その間、水汲みや掃除などチームの下働きもこなした。
「1年から試合に出ていたので、そうしたことをあまりやってこなかった。今までやってきた人がどれだけ大変かもわかったし、小さいことにも感謝できるようになったかもしれないです」
夏の菅平合宿初日(8月8日)から試合に復帰。前半だけの出場も、最終日まで全8試合を消化した。
「(戻れて)率直に嬉しかったですね。まずはケガなく合宿を終えられたことが収穫。ただ8か月空いてしまったので、ラグビーはあらためて難しいなと思いました」
身体の状態については「まだまだです。徐々に上げていく」と話すも、取材した合宿最終日の京都工学院戦では先制トライを挙げたり、オフロードパスで味方のトライを演出するなど、すでに力を発揮していた。
「今は頭で考えていることを体で表現できないのが大きなストレスです。ちょっとできる時もあれば、できない時もある。右足をケガしたので左足で踏ん張ってる感覚で、まだ右足が追いついてない」
プレー以外でも存在感を見せた。ディフェンス時、外側から味方へポジショニングについて大声で指示。統率の取れたライン防御を披露したのだ。
「そんなしゃべる方ではなかったけど、ケガで外から見る時間が増えて、みんなとコミュニケーションを取るようになりました。周りを見られるようになったとも思います。ケガして良いこともあったのかな」
昨年度の花園では、その堅守でファイナルまで駆け上がった。「鉄壁のディフェンス」は部室の掃除によって作られたと青栁はみる。
「選手間で部室をきれいにしようと話し合いました。それすらできていないのに、どうやったらディフェンスのペナルティをなくせるんだと。そしたら花園前に来てくれた記者の方々が、今年の部室は本当にきれいだと言ってくれた。小さいことの積み重ねが規律あるディフェンスにつながったんだなと」
昨年は決勝の舞台に立ち、今年は客観的にチームを見てきた。その上で「まだ日本一になれるチームではない」という。
「去年のディフェンスは日本一でした。いまはどうかと言われたら、そうではない。でも伸びしろがあるから、日本一になれる可能性も高い。本当にこれからだと思います。自分もリハビリと練習を頑張りたい」
次のターゲットは10月2日から始まる国民体育大会だ。地元・栃木での開催で優勝したい。
「まずは国体に焦点を合わせて、良いパフォーマンスを出したい。でも高校生にとって一番でかいイベントは花園。もう一度あそこで暴れられるように頑張ります」