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兄弟で挑む最初で最後の対抗戦。楢本鼓太朗&幹志朗[筑波大FL・SO]

2022.09.29

楢本兄弟(2人兄弟)。兄・鼓太朗(左)は171㌢91㌔のFL、弟・幹志朗は177㌢83㌔のSO(撮影:BBM)

 9月18日。筑波大の楢本兄弟が、関東大学対抗戦で初めて2人揃って先発した。第2節の早大戦だった。

 4年生の兄・鼓太朗は背番号7、1年生の弟・幹志朗は10番をつける。
 3歳違いだから、兄弟で挑む最初で最後の対抗戦だ。

 性格も経歴もプレースタイルも異なる2人。お互いの印象やそれぞれのこれまでの歩み、そして10月2日に控えた帝京大戦への思いなどを訊いた。

――対抗戦が始まって2人が揃って先発するのは、早稲田戦が初めてでした。

兄(鼓太朗) 『兄弟で』というのは春までは意識してましたけど、早稲田戦のときはそういう感情はなかったです。チームが勝つためにどうるすか、だけを考えてました。でも春は練習に身内がいるのに慣れてなくて、ソワソワしてましたね(笑)。

弟(幹志朗) 自分も春は意識してました。ただ、早稲田戦で一緒に先発できたときは夢が叶ったと思いましたね。3個違いで中学、高校とずっと入れ違いで、一緒にラグビーができる最初で最後の年。だから今年、絶対出たいなと。

――その早稲田戦を振り返りましょう。2人とも前半の40分で交代。その後、筑波大は後半に盛り返して、0-23から17-23まで追い上げました。

 後半にトライを取れるアタック力はあると思ってました。自分の強みはディフェンスなので、前半の失点を最小限にとどめていれば勝てた試合だった。自分のミスもあったので反省してます。でも一戦一戦が勝負。あまり引きずらないように切り替えたいです。

――今季の筑波大はFWにサイズのある選手がずらりと並びました(明大戦:LO梁川188㌢、LO八木澤188㌢、FL茨木185㌢、FL横溝187㌢、NO8谷山184㌢)。その中で鼓太朗さんは171㌢と小柄です。

 今年は高さもあるのでラインアウトで勝負しようと。それで自分のプレータイムが短くなることは、チームが勝つためなら仕方のないことです。それ以外のところで自分は何ができるか。ディフェンスや接点の強さ、バックローとして強みを出したいと思ってます。

――幹志朗さんは初めての対抗戦。いきなり明治、早稲田と上位校が相手でした。

 対抗戦2試合は春とは違って試合巧者が相手でした。2試合とも勝てていないのは、相手の10番より自分が劣っていたということ。10番はゲームメイクを任されているので、その責任も感じます。戦術のことばかり考えて目先のプレーに集中できず、自分の良いところを出せませんでした。
 それが早稲田戦の前半に顕著に出た。(前半での交代は)納得の交代というか、勝つためには自分が退かなければいけないなと。当然めちゃくちゃ悔しかったけど、チームが追い上げてくれてボーナスポイントも取ってくれた。それは良かったと思います。

――幹志朗さんは2年前の大学選手権3回戦の筑波大×流経大を見て、筑波大への入学を決めた(19-19で引き分けに。抽選で流経大が次戦への出場権を得た)。

 勝敗ではなく、献身的なプレーや自在なアタックに惹かれました。試合後の山田雅也さん(現江東BS・SO)のふるまいもすごくいいなと。抽選を引く役で負けてしまったのに、悔しい顔をせずに相手を称えていた。そういうことが普段からできるチームなんだろうなと思いました。

――兄がいたのではじめから筑波、というわけではなかった。

 そうです、そうです。コタローがいたからではないです(笑)。

 そうは言ってますけど、本音は兄がいるから、というのもあると思いますよ(笑)。

――2人は普段、どんな関係ですか。

 僕は次男なんで生意気で(笑)。自分がちょっかい出して、もういいよ、みたいな(やり取り)。それでも怒らないですね。

 舐められてます。お兄ちゃんと呼ばれたことがないですから。コタローと呼び捨てです、ずっと。兄、弟というよりも、もはや友達というか兄弟とは違う感じがしますね。ずっと部屋も同じだったので。二段ベッドの時期もありました。

――そうすると鼓太朗さんがつくばに行った時は、幹志朗さんは寂しかったのでは。

 いやいや、そんなことないですよ。広くなってひとりで自由になれたので。

 そうは言ってますけどね(笑)。実際は寂しかったと思いますよ。

――幹志朗さんが筑波大に来てからは先輩後輩の関係にもなりましたけど、『さん』は付けない。

 急に変えたら気持ち悪いし、コタローも嫌かなと。自分も嫌ですし(笑)。

――ラグビーを始めたのは鼓太朗さんが小学1年生からで、幹志朗さんが4歳から。きっかけは。

 父親の影響です。ラグビーをやっていたので、それで連れて行かれて。最初の体験の時点で楽しくてすぐに入りました。

*父・正吾さんは福大ラグビー部出身、JR九州でもプレー。東福岡の藤田雄一郎監督とは同期で、福大4年時は藤田監督が主将、正吾さんが副将だった。JR九州も同期入社。

――2人は同じ時期に始めたわけではない。

 僕の方が少し遅かったです。コタローが(草ヶ江ヤングラガーズに)入っていて、自分は最初見学してたけど、コーチと遊んでいる間にいつのまにか入ってました。

――草ヶ江ヤングラガーズはリーグワンでも活躍されている先輩も多いですね。

 垣永さん(真之介・現東京SG)がそうですね。下川さん(甲嗣・現東京SG)は修猷でも2学年上の先輩でした。
 丸山凜太朗さん(現トヨタV)が1個上です。ヒガシと練習試合をしていた時はよくキックオフで狙われてました。いじりみたいな感じで。

 僕はこの2試合が終わってリンタローに連絡しました。『1年生のとき、どんな感じでプレーしてた?』と。そしたら、彼は『自分が活躍することしか考えてなかった』と言っていて。気負い過ぎずにもっと楽にプレーしていいんじゃないか、ということを伝えたかったんだと思います。

 いや、そんな深いこと考えてないよ(笑)。

 僕はそう捉えました(笑)。

――丸山選手にも呼び捨てですね。

 そうですね。でもコタローは直属な(一緒にプレーしていた)ので、敬語です、逆に(笑)。

2人とも対抗戦デビュー戦は1年時の開幕戦・明大戦。写真は弟・幹志朗(撮影:松本かおり)

――鼓太朗さんが修猷館を目指したきっかけは。

 自分が通った小学校も中学校も修猷の近くでした。偶然、同級生に修猷を目指す子も多くて、ラグビーも強かったし、勉強もする、行事も盛ん。それで興味を持ちました。

――それから筑波大に進学しました。部員の多くが学ぶ体育専門学群ではなく、人文・文化学群です。

 正直、ラグビーは高校で辞めようと思ってました。でも筑紫との花園予選準決勝で、前半7-5で勝って折り返したのに、後半差をつけられた。負けたら悔しくて、やっぱり続けたいなと。お金のこともあったので、やるなら国立の筑波だった。内申点が取れていたこともあって、一般公募推薦で受験しました。人文にしたのは歴史が好きだったからです。

――内申点が良かったということは、修猷館の中でも成績が良かった。

 定期テストでたまたま点を取っていただけです。基本的に負けず嫌いなので。

――賢い兄のことは幹志朗さんの目からはどう見えていた。

 マジですげえと思いましたね。最初は自分も修猷に行きたかったけど、全然届かない(笑)。ちゃんと努力してるからすごいなと。

――一方で幹志朗さんは昨年まで東福岡の10番を背負い、U19日本代表候補にもなりました。鼓太朗さんは弟に対してラグビー面での嫉妬はなかったか。

 そういうのはあまりなかったですね。ただ、ヒガシで2年からメンバーに入って、その年の花園ですでに主力。自分の知っていたカンジローのイメージと全然違ったので、これはマコトかと。自分とはプレースタイルもまったく違うので、本当に家族なのか、と思いました(笑)。驚きの方が強かったです。

――鼓太朗選手はハードタックラーで、幹志朗選手はクレバーなプレーメイカー。どうしてここまでスタイルが違う。

 何でですかね(笑)

 分からないんですよね。コタローは体も大きくないのに、ブレイクダウンやディフェンスで身体を張り続けてるから筑波で1年のときから出続けてる。尊敬してます、そこは自分にできないところなので。

 お前もやれよ(身体張れよ)。

――鼓太朗さんがいた修猷館にとっては、幹志朗さんがいた東福岡は絶対に倒したい相手。

 2年生の時に戦ってボコボコにされました。花園予選の準決勝で113-0です。その強さを知っていたので、カンジローはヒガシでは通用しないと思った。それでも出ていたので、ヒガシのコーチの見る目を疑いましたね(笑)。

――幹志朗さんはなぜヒガシを選んだ。

 ジュニアの福岡県代表に入った時点で、ラグビーを頑張ろうと決めました(12月の全国ジュニアで優勝)。父親からも自分のプレースタイルはヒガシに合ってると言われてました。
 でも確かに、1年生のときは中学でのプレーがまったく通用しなくて苦労しました。何ひとつ自分の良さが分からなくなった。本当にヒガシで良かったのかなと思うことも何度もありました。

――転機があった。

 コロナ禍になってからです。一度ラグビーから離れたことで、頭を整理することができた。オンライントレーニングだけは参加して、それ以外は映画鑑賞したり散歩したり。ラグビーをやっていたらできないような生活をしたら、リラックスできました。再開した後のラグビーが楽しくてしょうがなかった(笑)。そうしたら自分の良いところが自然と出てきて、夏合宿を通して自信を持つこともできたんです。

――2年生の花園では東海大仰星とロスタイム18分の死闘を演じました。

 試合をしているときはまったくそんな感じがしなくて。ただ一生懸命プレーしていた。終わってから考えてみると18分ってすごいなと。そのくらいあっという間で、もっとしたかったです。

――ロスタイム、幹志朗選手が裏へキックして西端選手がインゴールでボールを抑えたシーンがありました。結果的にトライは認められませんでしたが(ボールを追っていた仰星の選手のプレーを妨害したとしてオブストラクションの反則に)、なぜあの時間帯でキックを選択できた。

 まず、裏へのキックのサインが聞こえてました。同点だったし、自分も何かを変えなければいけないなと。仰星さんのディフェンスがすごく良くて攻めあぐねていた。ただ、向こうもキックはないと思って全員上がってきていたので、裏に入れてみようと。同点だから相手も蹴り出せない。トライかなと思ったんですけど(笑)。最後、仰星で追ってたのは大畑さん(亮太・筑波大2年)だったので、入学した時に『なんで蹴ったんや』と言われましたね。

――今週末(10月2日)は帝京大戦です。鼓太朗選手は1年生のときから対戦している。昨季はタックルで追い詰めました(7-17で惜敗)。

 1年の時の試合は思い出したくないですね(22-17で迎えた後半50分にトライを奪われGも決まり帝京大の逆転勝ち)。スクラムでペナルティを取られて、そこから自分はラストワンプレーのときに交代で出ました(後半48分)。それで最後、外に回されてトライされた。去年の試合にも出ましたが、フィジカルの差を感じました。でも今年こそは勝つための準備をしますし、(対抗戦では)最後の対戦なので悔いのないプレーをしたいです。

――幹志朗選手は初対戦。前年のチャンピオンです。

 楽しみです。高本幹也さんは大学ナンバーワンの10番。限りなく成功に近い選択肢を毎回選ぶ、すごく参考にしている選手です。実際に戦えるのはすごく楽しみ。でももちろん勝ちます。自分が余裕を持たないと、チームに余裕は生まれないので、いい意味でリラックスしてゲームに臨みたいと思います。

早大戦は雨の中での戦いだった。写真右が兄・鼓太朗(撮影:松本かおり)