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【ラグリパWest】闘球から籠球へ。松島鴻太 [京都ハンナリーズ/球団社長]

2022.09.26

プロバスケットボールBリーグ、京都ハンナリーズの球団社長に就任した松島鴻太さん(左)。東海大仰星、東海大、コカ・コーラでプレーした本格的なラグビーマンでもある。創業50年を越える地元・京都のお好み焼き「吉野」の店主・吉野久子さん(右)も親戚で従業員の吉川智仁さん(中央)も新社長を応援する



 闘球から籠球へ。

 自身がたしなんだのはラグビー。今、バスケットボールの扉をたたく。

 松島鴻太(こうた)は31歳で球団社長になった。チームは京都ハンナリーズ。B1に所属する。プロのBリーグの一部である。

 チーム名の「はんなり」は上品で華やかな感じがするさま。京言葉である。ユニフォームは浅葱(あさぎ)と呼ばれる水色。新選組の羽織の色だった。江戸末期、この地で幕府の権威を守るために戦った。

「社長になって、身が引き締まる思いです。責任、それに伴うプレッシャー。それとは逆のワクワクやロマンなど、色々な感情や思いが入り混じっています」

 就任はこの7月だった。きっかけは常務の肩書があるマツシマホールディングスがチームの運営に参加したことだ。父・正昭が会長、5歳上の兄・一晃が社長を担う。一族会社である。

 その主業は自動車販売。マツダ、スズキ、メルセデス、BMW、アウディー、ポルシェ、マセラッティなど国内外の車を扱う。本社は京都市内。グループ全体の売り上げは約500億円。従業員は800人近くに上る。

 松島は5年前まで、トップリーグのコカ・コーラにいた。プロ中心のリーグワンに衣替えをする昨年に廃部になったが、ハンナリーズと同じ、その世界の最高峰にいたことはまぎれもない事実である。そして、同じスポーツにおける異動である。

 ラグビーを始めたのは同志社。中学入学直後だった。先にやっていた兄の影響を受ける。
「この道を極めたくなりました」
 高校は東海大仰星に進む。エスカレーターに自ら別れを告げる。当時、土井崇司が監督として0からチームを作り上げ、冬の全国大会優勝を2回成し遂げていた。

 京都から大阪の学校に電車通学。朝はグラウンドに最初に行き、夜は最後までいた。160センチ強のスクラムハーフにはパスを軸に鍛錬に没頭した。

 2年でリザーブ入り。3年はレギュラー、そして主将に任命される。最後の全国大会は89回(2009年度)。8強戦で敗れる。
「ヒガシは強かったです」
 優勝する東福岡に7−23。抽選の妙。この8強戦から対戦相手はくじ引きになる。16点差はもっとも迫った試合になる。

 卒業後、ラグビーで望まれて強豪大学に入るも、中退する。その後、土井のすすめもあり、オーストラリアにも渡った。
「当時はきつかったですけど、いい経験になりました」

 松島が人の上に立つ資格があるのは、努力と挫折を知るからである。弱さ、甘さを知れば、人に優しくなれる。自分を特別視する傲慢なボンボンにはならない。

 大学は東海に入りなおす。4年時には副将になった。
「僕は一浪になるので、キャプテンはタイセイがやりました」
 林大成は仰星のひとつ下のセンター。2014年度の大学選手権は51回。4強で敗退する。筑波に16−17と1点差だった。

 卒業後は福岡のコカ・コーラにゆく。レッドスパークスと呼ばれたチームでラグビーを続けながら、仕事をこなした。2年を過ごし、2017年に家業に入った。

「ラグビーの経験がバスケットでも役に立ちます。ひとつの目標にみんなで進むということです」

 昔のラグビー仲間には助けられる。高校の同期、金沢章は手を貸してくれた。
「つとめている会社の社長を説得して、スポンサーになってくれました」
 金沢はパスやキック、ステップに優れたセンターだった。土井が元日本代表の大畑大介らと並び、「天才」と称したひとりである。

 ハンナリーズが所属するB1は今年、東、中、西の3地区に分割された。各地区は8チーム構成。チームは西地区に振り当てられた。昨年までは東と西の2地区制だった。

 開幕戦は10月1日の土曜日、ホームの京都市体育館に仙台を迎え撃つ。ティップ・オフ(試合開始)は16時5分である。

 チームを良化させるため、選手の体調管理をテイクフィジカルコンディショニングジムに任せた。このジムは父が懇意にしている武豊がプロデュースした。騎手の第一人者である。ジムの代表は松島がつとめている。

「一瞬でもハンナリーズに関わってもらった方々に対して、夢と感動を与えることが役目だと思っています」

 昨年順位は22チーム中19位。上を見るだけだ。やりがいはある。頂点に立つことは夢物語ではない。松島は両親のことを話した。

 父は馬主でもある。夢は鞍上(あんじょう)に武を迎え、世界最大のレースのひとつ、フランスの凱旋門賞を勝つことだった。
「みんな笑いました。誰も信じなかった。でも母だけはその言葉を信じていました」
 父はドウデュースと巡り合う。

 この3歳牡馬は昨年、朝日杯を勝利。父に国内G1初制覇をもたらす。今年5月、日本ダービーも制した。そして、海を越え101回目の凱旋門賞に出走する。馬上はもちろん武。決戦はハンナリーズの開幕戦の翌日である2日。勝つことは初挑戦から半世紀を超える日本競馬の悲願でもある。

 父の夢の実現はすぐそこに迫る。信じることの大切さ、素晴らしさを両親から学ぶ。松島は選手、スタッフ、ファン、そして自分自身の可能性を信じられる。先行きが明るくないはずがない。


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