ラグビーリパブリック

【コラム】光と影。〜我が心の13番。トップ選手の心模様を知って〜

2022.09.22

ブライアン・オドリスコル(左)。ロンドンで行われたセブンズ大会のアンバサダーとして(2018年/Photo/Getty Images)

 史上最高のラグビー選手は、と問われれば答えに迷う。だが我が心の13番なら即答でブライアン・オドリスコルだ。

 1999年、20歳でテストマッチデビュー。以来、アイルランド代表のCTBとして2014年のシックスネーションズ最終節のフランス戦までに133キャップを獲得した。長くキャプテンも務め、主将として83試合出場は同代表史上最多。ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズにも2001年から2013年まで4回選出され、8テストに出場している。

 上半身と下半身が別の生き物のように動く独特の前傾姿勢のラン。チャンスを見極める特別な嗅覚を有し、まるでそこが空くとわかっていたかのようなタイミングで抜け出してはトライラインへ駆け抜けた。幅広いタックルレンジを誇る堅固なディフェンダーにして、キックのスキルも抜群。聡明で、活力とユーモアにあふれ、そのうえハンサムな、ほれぼれするようなラグビー選手だった。

 9月5日。そのオドリスコルのインタビューが、英国ガーディアン紙の電子版に掲載された。見出しのコメントは『It’s normal to feel loss and a little envy towards those still playing』。引退後のスポーツ選手のメンタルヘルスをテーマとした特集記事である(以下、コメントはすべて同記事からの引用)。

2022年、UAEでおこなわれたゴルフ大会で(Photo/Getty Images)

 ドナルド・マクレー記者によるインタビューの中で、オドリスコルは現役のプレーヤーだった頃に精神科医のもとを「3、4回訪れた」ことを明かしている。理由は、選手生活を終えたあとの生活を受け入れるための準備だったという。

「キャリアの過程にある時、グラスは常に半分満たされています。現役であれば仮に停滞期であってもそこへ戻ることができますが、引退したらもうそれはかなわなくなってしまう。喪失感を感じ、まだプレーしている選手たちに対し多少の羨望を抱くのは当然なのだということを、私はそこで理解することができました」

 昨今はアスリートのメンタルヘルスに関するニュースが盛んに取り沙汰されている。常に注目を浴び、極度のプレッシャーにさらされるトップレベルのスポーツにおいて、プレーヤーたちが受ける精神的ストレスは想像を絶するほど大きい。そうした事実を幅広く認知してもらい、選手をサポートする取り組みも、さまざまな形で広がりを見せている。

 そして心の不調の問題は、引退したアスリートにとっても同様に重要なテーマだ。前述のガーディアンの記事では、リタイアしたプロスポーツ選手の半数以上がメンタルヘルスの問題を抱えている一方、助けを求めるのはそのうちのわずか40パーセントしかいないというデータも紹介されている。

 現在は制作会社『3 Rock Productions』の共同経営者であり、BTスポーツのブロードキャスターとしても活躍するオドリスコルは、インタビューの中で述べている。

「引退後に私がうつ状態に苦しんだといえるかどうかはわかりません。それは医師が診断することです。そしてまさにそれが、引退前に私が精神科医を訪ねた理由でもあります。私はそうなることを回避したかった。(中略)目的がなくなる喪失感は、非常に大きかった」

 記事ではさらに、現在世界のラグビー界で重要な課題となっている頭部外傷の影響についても触れている。現役時代に負った脳のダメージが、引退後に深刻な形で顕在化するケースは少なくない。最近ではかつてオドリスコルが何度も対戦している元ウエールズ代表主将のFL/NO8ライアン・ジョーンズが、40代前半にして若年性認知症と診断されたことを発表している。

 オドリスコル自身も、引退した当初は不安を感じていたという。落とした鍵を拾おうとしてドアにぶつかった時、ふいに「自分にはきっと問題があるに違いない」という疑念にさいなまれた。「その後、さまざまな検査を受けに行きました。結果はすべて良好でした」。

 オドリスコルの引退から8年。その間もプレーヤーのフィジカリティとゲーム強度の向上は、とどまることなく続いている。頭部外傷の問題がラグビー競技の未来に暗い影を落としていることに懸念を示しつつ、オドリスコルは「コリジョンで勝利するスポーツというゲーム構造を作り変えない限り、解決の方法はないでしょう。でもそれはもうラグビーではなくなる」と語っている。

「プレーによってどんなリスクがあるかはわかっていました。しかしだからといって、自分のキャリアのすべてを変える選択をできたでしょうか。答えはノーです。私はすばらしい時間を過ごしました。自分が脳震盪を起こしたと感じて、みずからフィールドを退こうとしたことはありません。だからこそ、選手にその決断をさせてはならない。彼らはただ戦いの場に身を置きたいのであり、暗い部屋に座って自分が60歳になったらどうなるかなど考えないのです」

 辞書や翻訳サイトをいったりきたりしながら重厚なインタビュー記事を読み、あのオドリスコルにもこんな苦悩があったのかと胸を締めつけられる思いがした。どれほど偉大なアスリートであっても、引退の時は必ずやってくる。そして照らす光が強いほど、その反対側にできる影は濃い。こうした啓発や啓蒙は、ラグビー界で今後ますます重要になっていくだろう。

 来年のラグビーワールドカップフランス大会でもしアイルランドが優勝したら、あなたはほろ苦い感情を抱くでしょうか――という問いに対し、オドリスコルはこう答えている。

「もしそれが私にとって(自分が出場しない)初めてのワールドカップであれば、『なんてことだ!』となるでしょう。しかし来年の大会で、私が逃すワールドカップは(2015年、2019年大会に続き)3つ目になります。(中略)ゲームから離れて1年経った頃よりも、今ははるかに多くのことを楽しめるようになってきました」