1万4000キロの旅で新たなエナジーを得た。
日野レッドドルフィンズの笠原雄太(LO)は、リーグワン2022を終えた後のシーズンオフにアフリカへ向かった。
妻の暮らす西アフリカのセネガルを訪ね、刺激を受けた。
トルコ経由で片道48時間の旅。出発してから帰国するまでの10日のうち、4日は移動に費やした。
そんなハードな旅程も、本人は「自分にとってプラスしかなかった」と振り返る。
妻・美菜さんはJICA(国際協力機構)の派遣で現地に2年前からいる。
7月1日から10日間の旅。37歳の笠原は「考え方が変わった」と話す。
これまで、ラグビーを通してフランスやニュージーランド、オーストラリアなど、世界のあちこちの国を訪れたことはある。しかし今回、首都・ダカールの空港に着いてすぐ、「違う国というより、違う星に行った感じになりました」。
妻が現地へ赴任してから、セネガルの歴史や文化を学んだ。
2020年の11月には物資も送った。ストリートチルドレンの保護施設でラグビーがおこなわれている。そこにフランスから届けられていた支援物資がコロナ禍により滞ったからだ。
チームの仲間や周囲に支援を募り、集まったものを妻に託し、ハンドキャリーで持ち込んでもらった。
経済力の弱い国が多い西アフリカの国々。比較的経済が回り、他よりは安全なセネガルには、周辺国から人々が流入する。
そして、各家庭の親は子どもたちをイスラム教の寺院へ、『タリベ』として送る。そこは教育を受けながら、寝食できる環境があるとされているからだ。
しかし実態は、担当指導者へ奴隷のように扱われていることも多い。だから、そこから逃げ出す子どもたちもたくさんいる。
そんな子どもたちを集めた保護施設の一部でおこなわれているのがラグビーだ(フランスのNGO『Village Pilote』が運営)。
ラグビーの元セネガル代表のシェフさんが楕円球を通して、子どもたちに楽しさと学びを与えている。
セネガルの人たちは陽気な性格だ。誰にでも話しかける。そんな環境があるから、妻とシェフさんがつながるのに多くの時間は必要なかった。
その縁で、子どもたちには日本からラグビー物資が届けられ、笠原も今回の旅の途中、ラグビーを楽しむ子どもたちと触れ合うことができた。
また、新たな物資を渡すこともできた。
レッドドルフィンズのウエアをはじめ、協力に手を挙げてくれた函館ラグビースクールや各メーカーからの物資を身につけている子どもたちを実際に見て、感激した。
「嬉しかったですね。普段着にしている子もいました。多くの子どもたちが寄ってきました」
子どもたちと一緒に駆けた砂漠は気温40度。笠原は「暑くて動けなかった」と話す。でも、楽しかった。
スラッとしている少年たちは、体をぶつけ合い、パスをつなぎ、楽しそうだった。
バスケットボールやサッカーで成功したいと思っている子どもたちも多い国。身体能力は高い。
今回の旅で感じたこと、体験したことを、笠原はレッドドルフィンズの『note』に綴っている。
日本の人たちが知らないアフリカの小さな国の文化や生活、そこにはラグビーに興じている少年たちがいることを多くの人たちに知ってほしいと思ったからだ。
「(辛い思いもしたはずなのに)子どもたちには悲壮感はありませんでした。物資には恵まれていないけれど、ボールを追っている表情は笑顔」
人の強さ、ラグビーの持つ力をあらためて知った。
「ラグビーは自分の世界を広げてくれている」ことも再認識した。
「また行きたい、ですね」
今回の経験は、自身のアスリート人生にも好影響を与えると笠原は思っている。
リーグワン2022は順位決定戦も含めて6試合に出場。前年の1試合出場から大きくプレータイムを延ばした。
「歳をとるごとにラグビーが楽しくなっている」と笑顔を見せ、言葉を続ける。
「以前は結果にこだわり過ぎていたかもしれません。いまはいろんな経験を経て、自分にフォーカスできている。純粋に、ラグビーそのものを楽しめています。」
肩の力を抜いてプレーできていることがパフォーマンス上昇を呼んでいる。
北海道・七飯(ななえ)高校時代、幸運なことに指導者の目にとまり、流経大に進学。ラグビーは自分にとって道を拓いてくれるものだ。
ヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)で主将を務めたことがある。レッドドルフィンズで息長くプレーしている。
多くの人との出会い、刺激ある経験も、すべては楕円球がいろんな扉を開いてくれたからだ。
セネガルへの旅で得た知見は、また新たな領域へ自分を連れていってくれた。
「もっと頑張ろう。あらためて、そう思えました。アフリカの小さな国にもラグビーの文化があった。世界には、まだまだ知らないことがたくさんある。ラグビーはいつも、自分の人生を豊かにしてくれる。まだまだ成長できる、かな」
ラグビーっていいな。
世界は広い。まだまだ頑張ろう。