ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】マインドセット。山口県立山口高校

2022.08.24

3年ぶり7回目となる冬の全国大会出場を目指す山口高校。県内トップの名門進学校でもある。この夏は福岡の浮羽ラグビーフェスティバルに参加して力を磨いた。前列左から4人目が石丸健太朗チームリーダー(主将)。中列左から2人目が同高初の女子選手、和田陽子



 山口高校はこの国有数の歴史を有する。

 創立は150年以上も前である。1870年は和暦でいくと明治3年。江戸幕府を倒壊させ、維新を成就させる中心になった長州藩の息遣いを濃密に受け継いだ。

 山口県内では「ヤマコー」と親しまれる。この県立校にもラグビー部はある。ジャージーは黒と黄色の太い段柄。慶應の「タイガー」と重なるところはある。日本ラグビーのルーツ校である。

 学校ができて60年して、ラグビー部が作られた。旧制中学時代を含め、冬の全国大会には6回出た。この大会は今では、開催グラウンドから「花園」と呼ばれる。

 この春、ヤマコーにはOB監督が赴任した。岩本圭史(けいじ)。保健・体育の教員でもある。45歳。穏やかに驚いたことを伝える。

「選手たちが全国に行くことを求めていませんでした。はっきりとは言いませんが、県大会の決勝に出て、テレビに映ればよい、と。彼らにとって花園はあこがれの場所であって、行くところ、とは思っていません」

 岩本は前任の大津緑洋で12年間、コーチや監督をつとめた。この学校は県内最多31回の花園出場を誇る。統合前の大津と山口水産の回数も含まれる。岩本にとって、花園への到達は最低限の目標だった。そして、選手権は予選も含め頂点を目指すために存在する。

 ヤマコーの最後6回目の全国出場は99回大会。初戦で日川(山梨)に12−24で敗れた。今の高3生が中3の時である。

 その県決勝のテレビ中継を見て、石丸健太朗は野球から転向した。この3年生はクラブリーダーと呼ばれる主将である。ポジションはロック。178センチ、94キロの体を持つ。
「僕たちが戦う姿を見て、ヤマコーの部員が増えたらいいなあ、と思います」
 選手は今、20人。64年ぶりの花園だった96回大会は44人。6年で半分以下になる。

 今年の成績も花園を非現実的なものにさせる。県大会は4強敗退。新人戦は大津緑洋に12−56。春季大会にあたる中国大会予選は高川学園に7−58だった。

 その現状を打破するため、岩本は2つのことを取り入れた。 
「セルフマネジメントと組織作りですね」
 前者は「自主性」と意訳できる。自分たちで計画を立てて実行する。

 毎週木曜は「自主練の日」にした。その過ごし方を石丸は話す。
「自重のトレーニングをします。腕立てや腹筋ですね。そのあとはウエイト。目標シートがあり、いつ、何をするかを考えます」
 今、ベンチプレスは110キロ、スクワットは150キロになった。

 岩本は言う。
「トップダウンはこの学校には合いません」
 ヤマコーは県下一の進学校である。強制しなくとも、選手たち自らが考えていけるはず。今年は東大に2人、京大4人をはじめ、地元の山口大には89人を送り込んだ。岸信介、佐藤栄作と2人の首相も輩出している。

 岩本はトップダウンも体験している。大学は中京の体育学部(現スポーツ科学部)に進んだ。現役時代はウイングだった。
「練習は走ってばかりでした。あの頃はどこでもそうでしたが…」
 今は総監督になった金沢睦(むつみ)は母校の日体大での猛練習がベースにあった。

 岩本の4年時、中京は最後となる14回目の大学選手権出場を果たす。35回大会(1998年度)は初戦敗退。準優勝する明治に19−78だった。同期プロップは白田誠明(しろた・のぶあき)。大分東明(おおいたとうめい)の監督として大分舞鶴の花園連続出場を33で止め、2回の出場を果たしている。

 自主性と上意下達。岩本は両方の長短を考え、そのチームに合った指導法を考える。

 組織作りではリーダー制を採り入れた。セルフマネジメントを円滑に行うためだ。
「このチームをどうしていきたいか、3人を中心に決めていってほしいのです」
 石丸を軸にして、ゲームリーダーと体作りの中心になるS&Cリーダーを作った。

 岩本は熱の高まりを待っている。自分たちで能動的に貪欲に戦ってほしい。それは学業を終え、社会に出た時にも生きる。そう信じる。

 ただ、このマインドセットをするには時間が限られている。
「私がチームを見られたのは3か月ほどです」
 7月はコロナの陽性者が出たりした。花園予選は今年11月。3か月を切っている。

 試合経験を積むため、8月11日から1泊2日で九州遠征をした。初日は福岡入り。浮羽究真館などと対戦。県内8強に入るチームには大差負けする。翌日は大分で試合をする予定だったが、前日の対戦校の中に体調不良者が出たため、大事を取って不戦にした。

 厳しい状況は続くが、支えるものや人はいる。この遠征で使用したマイクロバスは部の所有である。岩本は感謝を込める。
「どこかのOBの方がポーンと寄付してくださいました。これは二代目です」
 部長としてコンビを組むのは社会科教員の水津孝紀(すいず・こうき)。15ほど下の同じOB。意思疎通ははかりやすい。

 ヤマコー初の女子部員、和田陽子の母・崇子はチームドクター的存在だ。内科医として、「さんふらわあクリニック」を切り盛りする。関西ラグビー協会の医務委員会に所属する唯一の女医でもある。カメラマンの松岡征人(ゆくと)は30年以上、レンズ越しに活動を残し、歴史をあとの者に伝える。2人は今回の遠征にも帯同した。

「部員たちとともに、新しいヤマコーのラグビーを確立していきたいと思っています」
 スポーツ推薦はなく、入試をくぐり抜けたものたちと進む道は、岩本にとっても決して平たんでない。ただ、それだけに踏破してゆく価値は十分にある。

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