大東大ラグビー部は、明るく前向きになれるチームだ。在籍4年目の戸野部謙はそう感じる。
昨年12月18日、東大阪市花園ラグビー場。大学選手権4回戦のラストワンプレーで、決まれば同点のゴールキックを託された。
弾道をわずかにそらし、29-31で同大に敗れた。その瞬間、ハーフ線の向こうから味方が一気に駆け寄ってきた。その日で引退となる4年生も、笑顔でねぎらってくれた。
クラブの朗らかさがファンに伝わったであろうそのシーンについて、戸野部自身は問答を通して話した。
「あんまり、覚えてないんですよね、あの時…。ただ、(事前に)『外してもいいから思い切り蹴れ』とは言われていました。楽しい試合だったんで、悔いはないですね。はい」
父も大東大OBだった。晃典氏は1980年代後半にFBとして活躍。当時にあっては珍しかった留学生選手とともに日本一も経験し、チームはジャージィの色になぞらえ「モスグリーン旋風」と謳われた。
息子は「強かった時です」と、表情を崩して後述する。父から無理にラグビーを勧められた記憶は、ない。
それでも小学校卒業まで続けたサッカーに「飽き」てきたところ、「ラグビー、やってみるか」と誘われた。
「ノリで、始めました」
地元の岐阜ラグビースクールでは、週末にほぼ丸一日かけて練習することがあった。つらくて辞めたいと思ったこともあるが、家庭で父に的確な助言をもらって上達。競技そのものを嫌いになることはなく、父と同じ岐阜工高、大東大の門を叩いてゆく。
高校に通う頃には、父が抱く思いはより強まっていたようだ。息子の述懐。
「何回かラグビー、辞めたくなったんですけど…。『お前、何しに高校に入ったんだ? 続けろ』『わかりました』って」
大東大では初年度こそけがで棒に振るも、「楽しいチーム。他の大学よりも自由です。自分に合っているかなと」。海外出身者も交えた正CTB争いでは、献身ぶりをアピール。レギュラーに定着し、あの最後の1本を任されるまでになった。
得意技はオフロードパスだ。身長177センチ、体重78キロのサイズで防御の隙間へ仕掛け、前傾姿勢で手をひねらせ味方へつなぐ。
「高校の時はつながらないと(オフロードパスを制限するように)怒られてたんですけど…。練習は、してました。大学では自由にやって、スキルが伸びたかなと思います」
近年は日本代表がオフロードパスを多用する。「パスは両手で」との教えが重んじられてきたこの国でのラグビーの捉え方は、徐々に変わりつつある。そもそも大東大では、トンガやニュージーランドからやってきた選手が当たり前のように片手でのチャレンジを重ねる。
戸野部にとっては、もともとの趣向がトレンドや居場所にマッチした格好だろう。
8月18日、長野の菅平高原で合宿を張っていた。関西大学Aリーグの近大との練習試合に12番で出て、31-24と勝った。
前半17分頃には、チームにとって2本目のトライをおぜん立てした。敵陣深い位置にできた接点で相手の球をもぎ取り、それを近くの味方につなぐやすぐに別なスペースへ回り込んでパスを呼び込む。再度、フィニッシャーにボールを託した。
試合直後はグラウンドの脇で輪になって座り、この日の収穫と反省を事細かに振り返った。9月開幕の関東大学リーグ戦1部に向け、進歩を止めない。
「まだチームは完成していないです。菅平でもう1試合、やるんですけど、この時までには弱点をなくして、ひとつの目標に向かって頑張りたいです」
ラストイヤー。大学選手権にもう一度、出て、勝ち進んで、大東大らしさをもっと広くアピールしたい。