その名前は今年もあった。
7月27日に発表されたニュージーランド、カンタベリー州B代表のメンバーの中に「SHUN MIYAKE」がいた。
昨年に続いて、2年連続の選出だ。
三宅駿はカンタベリー大学でスポーツコーチングを学ぶ20歳。中学3年生時の2月に単身渡航し、以来、クライストチャーチに暮らす。
クライストカレッジでファーストフィフティーンとして活躍し、大学へ進学した。
同大学クラブでSOとしてプレーし、U19カンタベリー代表に選ばれたこともある。
昨年はニュージーランド大学選抜(NZU)にも10番として選ばれた。
現在はクラブをマリスト・アルビオンに移してプレーを続けている。
172センチ、93キロと、がっちりしたSO。幼い頃にサッカーをやっていたこともあってキックは得意。ランにはキレがあり、タックルも強い。
クラブを移ったのは、以前の所属がクライストチャーチ地区クラブチャンピオンシップの下位グループだったことに対し、マリスト・アルビオンは優勝を争う位置にいるからだ。
新天地での最初のシーズンは開幕から5試合、ピッチに立ち続けた。
しかし鼻周辺の骨折により戦列を離れた。プレーオフで復帰するも、今度は肩を痛めて再び欠場が続いた。
それでもB代表に選ばれたのは、すでに一定の評価を得ているからだろう。本人も「(限られた出場機会を)見ていてくれた」と表情を崩す。
三宅は神戸出身。ラグビー好きの祖父と父の影響を受け、5歳のときに芦屋ラグビースクールで楕円球を追い始めた。
野球、サッカーもプレーしていたが、いつの間にかラグビーに熱中。スーパーラグビーが大好きで、いつもテレビ中継を見ていた。
中学時代にニュージーランドの高校への進学を考えた。「スーパーラグビー、オールブラックスを目指してみたい」と決意した。
中学2、3年時には兵庫県スクール選抜のメンバーとして全国ジュニア大会に出場している、芦屋ラグビースクールの一員として太陽生命カップ全国中学生大会でもプレーした。
先のテストマッチシリーズで日本代表デビューを果たした李承信は1学年上で、ラグビースクール時代に対戦したことがある。選抜チームでともにプレーしたこともある。
「こちらに来てからも、ときどき連絡をとってきました。今回の(日本代表での)活躍、すごいですね。同じポジションです。刺激をもらっています」
10番を背負うもの同士。自分のプレーを重ねる。負けていられない。
現在、シェアハウスに住む。
同い年のクルセイダーズのLO、ザック・ギャラガーに加え、大学で知り合った女子2人とともにひとつ屋根の下、4人でスペースを分け合っている。
異国での活躍は、すっかり現地にとけ込んでいることとも無縁ではないだろう。
高校で学び始めた頃から、ほとんど日本人との交流はなかった。ラグビーの仲間たちと過ごすのが楽しくて、そのコミュニティーの中に浸り切ったからだ。
「最初は留学生でしたが、その感覚はいつの間にかなくなりました。周囲(の自分を見る目も)もそうだと思います」
仲間に恵まれ、ライバルとの競争の中で揉まれたからいまがある。
オールブラックスは先のアイルランド代表とのテストシリーズで1勝2敗と負け越し、世間はざわついている。
夕方のニュースでも、代表チーム指揮官の去就に関したヘッドラインが、新型コロナウイルスやウクライナ情勢のものより先に出る。
そんなところだから、国民のラグビーを見る目は肥えている。
「その中で、やはりスタンドオフの役割は大きく見られます。なんかあったらスタンドのせい、うまいこといったらスタンドのお陰のように見られる」
ラグビー王国の中で階段を着実に昇ってきた10代を経て、「いまはニュージーランドで上を目指すことに集中したい」と話す。
大学に学んで3年目。まだハタチと若い。将来すすむ道はニュージーランドか日本か。その決断を「急ぐことはないかな、と考えています」と話す。
ただ、昨年はU20クルセイダーズに選ばれたものの、もう年代別代表にピックアップされる年齢ではなくなった。
勝負の時が、ここ2、3年と理解してラグビーライフに集中する。
昨年のクリスマス前は、主力選手たちの休暇という背景はあったもののクルセイダーズの練習に呼ばれた。
「今年もそういう機会を得たいですね」と話し、準備を進める。
カンタベリー代表の10番にケガ人が出れば、国内選手権の途中で、ワンランク上のステージに立つチャンスが巡ってくるかもしれない。
B代表の選手たちは、各州代表の同カテゴリーのチームと5戦ほど戦い、強化と調整を進めながら、上のチームからの招集を待つ。
体のサイズはリッチー・モウンガとあまり変わらない。ランプレーが得意なところも似ている。
チャンスは逃さない。