ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】関西の夏。目黒学院高校

2022.08.01

この夏、目黒学院を率いて関西遠征をした竹内圭介監督。京都工学院のグラウンドであった練習試合で戦況を見守る。目黒学院は旧校名の目黒の時代には冬の全国大会を5回制し、歴代5位の記録を持つ



 7月27日、目黒学院は夏の京都にいた。

 日差しが矢のように突き刺さる。最高気温は36度。その中で京都工学院との高校ラグビーの名門対決を制する。26−17。東京から西下(さいか)した甲斐があった。

 イライシア・サーフが縦への強さでトライを挙げる。トンガからこの学校の付属中に来た。サーフは3年になり、ウイングからナンバーエイトに定位置を上げる。

 監督はOBの竹内圭介。情報科の教員でもある。日に焼けたその端正な顔は緩む。
「ここで課題を見つけて、夏合宿に入ります」
 白星に言葉も柔らかい。

 夏合宿は二部制。前期は8月2日、後期はその9日後に始まり、計13日間を新潟の妙高高原で過ごす。
「菅平で試合がある時はこの妙高から行きます。バスで1時間ほどですから」
 メッカの喧騒を離れ、集中できる。

 今回の関西遠征は3泊4日。前日26日には朝から東海大仰星に出向いた。
「受け入れてもらえる意味は大きい。向き合い方やあいさつなども勉強にもなります」
 試合は14−63。全国大会連覇を狙うチームには差をつけられた。

 京都工学院との試合後は愛知に移動。翌28日には名古屋と対戦。26−3。遠征は連勝で締めた。ABCの3グレードすべてで試合もできた。竹内は遠征の意義を語る。
「東に比べて、西はボールが動きます」
 監督就任6年目でほぼ毎年、この地方への遠征をしている。小5まで関西にいた。親しみもあり、土地勘もある。

 名古屋戦後はマイクロバス3台に分乗してその日のうちに東京に帰った。
「学校保有の2台に1台は借りてきました」
 コロナの密を避けることや費用をかけないようにすることも考えている。

 目黒学院と京都工学院は高校ラグビーの歴史に燦然と輝く。冬の全国大会制覇は5と4。歴代5と6位にあたる。竹内の紺のポロシャツの背中には、校名を意味する「MGR」がプリントされている。その上には白い星が、下には紺の星が5つずつ並ぶ。優勝と準優勝の数である。

 この試合には山口良治も姿を見せた。来年2月で80歳になる山口は伏見工を全国大会で初優勝させた。京都工学院の前校名だ。監督就任6年目での快挙。60回大会(1980年度)の決勝は大阪工大高(現・常翔学園)を7−3で破った。主将スタンドオフは平尾誠二。後年、その才気と日本代表などの経歴、そして容姿から「ミスターラグビー」と呼ばれた。

 山口は目黒学院に思い出がある。
「平尾の時に東京遠征をやった。明治の八幡山のグラウンドで試合をした。目黒が負けたら、もう1本、もう1本、って勝つまでやらされたのを覚えている」
 頼み込んだのは梅木恒明。目黒学院の初代監督である。当時の校名は目黒。2人は日体大の出身だった。山口は梅木の9歳下。先輩にたのまれたら嫌とは言えない。

 伏見工初優勝の2年後、62回大会でこの2校は準決勝で激突する。目黒が伏見工を16−12で降す。決勝は10人スクラムで挑むが、國學院久我山に0−31。10回ある決勝進出はこれが最後だった。40年前のことである。

 目黒学院と京都工学院はともに20回の全国大会出場を記録する。ただ、全国舞台での対戦はこの1試合だけ。そしてここから上昇と下降にわかれる。

 伏見工は頂点をさらに3回重ね、目黒はこの大会後の30年ほどで全国大会そのものの出場は2回のみ。梅木も退任した。
「徹底していた。真似できないタイプやった」
 山口の覚えている熱血指導が時代の流れに合わなくなっていた。

 45歳の竹内は梅木に会ったことがない。
「お葬式が初めてでした」
 現役時代、関西遠征の記憶はある。
「僕はキャプテンだったので、試合をして、山口先生にあいさつに行きました」
 竹内はスタンドオフだった。

 目黒学院は竹内が監督として指揮した5大会中3大会で全国に出た。昨年度、101回大会は3回戦敗退。東福岡に12−67だった。
「戦力が整わない時期があったけど、留学生を入れて、強いFWがよみがえってきたね」
 山口は解説する。最初の留学生の受け入れは10年前だった。

 新チームになった新人戦、春季大会は準決勝敗退。東京に10−36と0−0。4か月ほどで26点差を0に縮めた。竹内は2地区に分かれる本番、全国大会都予選に目を向ける。
「ウチは東京と同じブロックになります」
 次こそは。出場を決めれば、3大会連続となり、都代表としては最長になる。

 その勝負の秋を前に、数ある関西のチームの中から京都工学院と試合を組んだ。
「今年の工学院は選抜大会にも出て、全国7人制にも出ました。名声のあるチームですし、大島監督にも会いたかったのです」

 大島淳史は竹内の口から自分の名が出た理由を推し量る。
「伝統校を復活させる、というその使命が同じだからでしょうかね」
 京都工学院は全国大会そのものから6年間、遠ざかっている。

 竹内は最終目標を口にする。
「日本一。毎年同じですけどね」
 目黒学院のジャージーはエンジのまま。京都工学院の深紅も変わらない。先人への尊敬を胸に秘め、輝かしい時代を再構築できるよう、竹内は56人の部員たちとこの2022年の猛暑を過ごしてゆく。

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