意気軒高。
<意気込みが盛んであるさま>
広辞苑(岩波書店)には書かれてある。
武田誠太郎の現況である。「セイ」と外国籍の友人らから短く呼ばれる。くりくりと動く丸い目は知の速度を、刈り上げは気合を示す。
セイは早稲田でラグビーをやった。今はMicrosoftで働いている。
「社会人2年目で途中入社は難しいのですが、受けさせて下さい、と頼み込みました」
熱意は人事を動かし、転職を果たす。
Microsoftは「GAFA」と比肩する。Google、Apple、Facebook,Amazonである。この4社は就職で人気の巨大テック企業である。
「ざっくり言うと法人にソフトウエアのライセンスを売っています」
所属はエンタープライズ事業本部。この会社はトップリーグ時代、大会のメインスポンサーになった。ラグビーへの理解がある。
早稲田の4年時には大学選手権の優勝を経験する。3年前の56回大会の決勝は明治に45−35。11大会ぶり最多16回目の頂点だった。セイはその歓喜を観客席から見る。
「春はAチームで出たこともあります。でも、プレーにムラがあり過ぎました。僕は直人みたいに100すべてをラグビーに注げない。色々と振り分けるタイプでした」
齋藤直人が主将だった。東京SG(旧サントリー)に進み、スクラムハーフとして日本代表キャップ8を得ている。
セイは休日、寮のある上井草から離れた。同世代に満足せず、大人を求めた。
「六本木や西麻布にひとりで飲みに行ったりしていました」
最初の就職先の役員と出会ったのも、そんな流れからだ。ラグビー好きな人だった。
「ぶら下がりではなく、自分の力で人生を切り開きたい、と思いました」
会社の運営は5人ほど。企業内の営業組織管理を主にコンサルタントもしていた。新人は必要ない。ここでも入社を懇願した。
「すごくよくしてもらいました」
ただ、大学時代と同様、好奇心は押さえきれない。大企業の空気も吸いたくなった。
「人の相談を受けるのもいいけれど、自分自身の体を動かしたくなりました」
そして、Microsoftに移った。
セイは自分の判断を大切にする。スタンドオフだったことや幼少期からラグビーが身近にあったことと無縁ではない。父の裕之は天理高で監督をつとめ、現在は創志学園を率いる。叔父は元日本代表。八ッ橋修身は天理大のBKコーチにして、神戸(旧・神戸製鋼)ではフルバックとしてキャップ12を持った。
「幼稚園の時に、僕たち家族はラグビー部寮に住み込みました。お兄ちゃんたちはみんな僕を可愛がってくれ、遊んでくれました。カードやゲームもいっぱいもらいました」
忘れられないのは小1の全国準優勝だ。
「みんな格好よかったです」
フルバックは宮本啓希。今年から同志社大の監督になった。84回大会(2004年度)は啓光学園(現・常翔啓光)に14−31。この決勝進出が優勝6回、歴代4位の記録を誇る天理にとっての最後である。
セイは天理中で競技を続け、高校は石見智翠館を選んだ。監督の安藤哲治の言葉が響いた。
「どの監督より部員の声に耳を傾ける」
ニュージーランドへの留学も可能だった。奈良から島根へ移る際、母・由子は言った。
「あなたにはいっぱい愛情を注いできました。これからは周りの人に育ててもらいなさい」
涙を隠し、「捨て育て」を表現した。
2年生では希望通り、半年ほどバーンサイドに通った。そのクライストチャーチの高校にはワーウィック・テーラーがいた。体育教員とラグビー部のコーチだった。
「セイは考えすぎ。もっと楽しめ」
助言は心に刺さる。テーラーは黒衣の代表キャップ24を数えるセンターだった。
帰国後、弁論大会に出た。国語の先生にすすめられ、短期留学中の日記をベースにした。
「全国5位に入ってしまいました」
内容はラグビーを通した日本とニュージーランドの高校生の比較。突き詰めるだけが絶対ではない。Have Fun。視点を勝敗の1点のみに絞るのではなく、広げる。テーラーからの学びは、弁論大会やラグビー、そして転職にも影響を与えている。
高3時はチーム最高の全国4強入り。95回大会は桐蔭学園に31−46で敗れた。セイは副将だった。主将はフランカーの岡山仙治(ひさのぶ)。天理大から東京ベイ(旧クボタ)に入った。セイは赤黒ジャージーの伝統と戦績にひかれ、社会科学部の自己推薦に受かる。
これまで24年の人生を振り返る。
「なんかうまくいっています。みなさんに引き上げてもらっているんですよね」
それを知るからテイクのみは考えない。ギブ=恩返しも考える。そのひとつは今、自分が住まうシェアハウスにも向けられる。
「外国人向けのシェアハウスがつくれたらいいなと思っています。ここに入れば楽しく暮らしている、と本国の親がわかるものを作りたい。子供への心配も減ると思います」
島根や東京での寮暮らしも含みながら、問題を見つけ出し、解決を探る。
ラグビーを絡める仕事もしてみたい。
「もっと素敵なスポーツにできたらいいですよね。アメリカンフットボールのようにハーフタイムショーなどを試合の前後などにも取り入れて、その日を1日楽しめるようにしたらもっと人気が出てくると思います」
夢は広がる。
その根本にあるのは人懐っこさ。生来のものを捨て育てによって知らず知らずのうちに磨き抜いてきた。その特性で周囲を引き込みながら、生きていく。前途洋々である。