青空に深い緑。絶好のラグビー日和、いい雰囲気だった。
7月24日に釜石鵜住居復興スタジアムでおこなわれた女子日本代表×女子南アフリカ代表は、サクラフィフティーンが接戦(15-6)で勝った試合内容も、会場に流れる空気も素晴らしかった。
スタジアム周辺には地元商店の出店が並び、試合前のピッチではタグラグビーのイベントもおこなわれた。
その中のひとつに、『夢団〜未来へつなげるONE TEAM〜』(以下、夢団)の活動もあった。
スタジアムへ入ってすぐ右に祈念碑がある。刻まれた文字は「あなたも逃げて」。悲劇が二度と起こらぬように、震災の時に得た教訓を発信し続けるものだ。
その前のスペースで夢団の活動がおこなわれた。
夢団は、震災の記憶を風化させぬように活動している釜石高校のグループだ。先輩や地域の震災経験者から伝え聞いた話や教訓を、ボランティア活動や伝承活動を通して発信している。
この日は、3年生の戸澤琉羽(るう)さんと、2年生の大瀧沙來(さら)さんが伝承活動をおこなった。
興味を持った来場者が立ち止まり、数人のグループができたら話し始める。
それぞれが活動を通して学んできたことを自分なりに考え、まとめ、2分間のスピーチで伝える。
戸澤さんも大瀧さんも、震災時は未就学児だった。混乱や非難の記憶は曖昧だ。
ただ、自宅は津波が届かないところだったけれど、こわい思いをしたのは間違いない。そして被災地で育つ中で、被害の大きさや避難に対する備えをしておくことの重要性を知る。
自分たちが伝承者となり、教わってきたことを後世に伝える活動に加わる気持ちが湧いた。
戸澤さんはリーグワンの試合が同スタジアムでおこなわれた時も、来場者の前で話したことがある。
この日も落ち着いた語り口で、何度も語り部を務めた。
2分間の話の中で伝えたいことは、事前の準備通りに物事が進まない可能性もある、ということだ。
高齢者に配慮して、事前の訓練では避難場所を海抜の低めのところに定めていたら、実際の震災時には、その高さを越える津波が押し寄せたという。
大瀧さんはこの日、初めて語り部として話した。
最初は用意した文書を読むような感じだったが、繰り返すうちに、すぐに気持ちを込めて話せるようになった。
釜石小学校の話をした。
震災当日は短縮授業で児童たちは釣りに行っている者もいたり、それぞれがバラバラに過ごしていたのに、校区の8割が被害にあった同校から犠牲者は出なかった。
日頃の訓練のお陰で誰一人迷うことなく高台に逃げたからだ。
日頃からの備えと信頼が大事。大瀧さんは、そう訴えた。
訓練通りに逃げる。まず、それが大事だ。そして、普段から家族で話し合っておく。有事の際の行動の徹底と集合場所の確認などだ。
「家族のことが心配で家に戻り、犠牲になった方も多かったと聞きました。信頼があれば防げたはずです」
来場者に訴えた。
活動を志した理由を、大瀧さんは「伝承が続いた結果、将来に何かがあったとき、一人でも多くの人が助かればいいと思って」と話す。
「震災の時、私は保育園の年長で、何も覚えていないし、何もできなかった。それが悔しくて、この活動を通して役に立ちたいと思いました」
この日は、遠方からスタジアムを訪れた人たちも少なくなかった。
サクラフィフティーンの勝利を目撃する前に、地元高校生の伝承活動に耳を傾けた人たちが何人もいた。
家に戻って試合の興奮と一緒に被災地のそんな活動も伝えたら、被災地の人々の教えと気持ちも広まる。