ラグビーリパブリック

成功体験も「挫折」も糧。國學院栃木・吉岡航太郎コーチが育みたいもの。

2022.07.25

國學院栃木高校の吉岡航太郎コーチ(中央)。写真左は吉岡肇監督(撮影:黒崎雅久)


 就任2年目で頂点に近づいた。

 2022年1月、東大阪市花園ラグビー場。國學院栃木高の吉岡航太郎コーチは、全国高校ラグビー大会でクラブ史上初の決勝進出を果たした。

 それまでの最高成績は、2011年度の8強入り。同部の2013年度主将でもある吉岡コーチは、歴史を塗り替えた価値を感じる。

「以前までは3回戦突破、もしくはベスト8が最終目標でしたが、いまは皆が口を揃えて『日本一が目標です』と。意識が変わりました」

 話をしたのは2022年7月。新チームが動き出して久しかった。感じるのは、前年度の好結果がもたらす無形の重圧だ。

「おそらくですが、(選手は)常にプレッシャーと戦っている。『もう、(目指すのは)決勝しかない。1年だけ(で成績が途絶えると)まぐれだったと思われる。今年もいい成績を残せるようにしなければ』。そういう責任感のなかでプレーしているのかなと、日頃の取り組み方や意識から感じます」

 しかしいまは、初めて準優勝した翌年のシーズンを迎えるのに最適な時期だったとも取れる。

 1年時から正司令塔の伊藤龍之介主将は、事も無げに言うのだ。

「それをプレッシャーに感じているようでは、まだまだです」

 リーダーの覚悟がにじむ。吉岡コーチもまた、成功体験を肥やしにしていた。

「(前年度から)要所の大会をどう戦うか、夏合宿ではどんなプランニングをするかについて、『花園で勝つためにどう戦うか』と逆算して考えるようになりました。(1日おきに試合のある花園では)『3試合を終えた。あと2試合もやらないといけないのか』という、信じられないくらいの選手の疲労度があるんです。(先発の)15人だけでなく、控え選手を含めた25人を育てていかないと花園では勝っていけない。そのためにも3、4月にいろんな選手に出場機会を与え、層を広げる。…そのような、他の強豪校の方たちもやっているような日本一までの道順を知れました。かなりいい経験をさせてもらった」

 26歳。吉岡肇監督の次男である。学生の頃から「いずれは(監督の跡を)引き継ぐものなのかなと、うっすら」。教員免許の取れる早大に進み、競技も体育会で続けた。

 選手としては「挫折」を味わった。2年目から1軍争いに絡むが、先発定着には至らなかった。

 3年時、自身のSHの位置に齋藤直人を迎えた。

 桐蔭学園の主将だった齋藤は、加入して早々に主力と遇される。当時の山下大悟監督に抜擢され、その立場を保つ。

 相良南海夫前監督が就いて2シーズン目にあたる4年時には、主将として大学選手権を制覇。現・東京サントリーサンゴリアスに入部して2季目の昨春以降は、日本代表としても活躍している。

 かたや吉岡コーチは、静かに選手生活を終えた。社会人チームから誘いを受けながら、その道には進まなかった。

「情けない話、自信がなくなってしまって。早大にスポーツ推薦で採っていただいたのに結果を出せず、これ以上、人の期待を裏切りたくない…と」

 裏を返せば、若くして指導者としてのキャリアをスタートできた。

 2019年、女子チームのアルカス熊谷でアシスタントコーチに就任。早大時代のコーチで当時同クラブに在籍していた、銘苅信吾氏の勧めによる。事実上のプロコーチとして、勝負に携われた。

 現職に就いたのは2020年春。25歳の誕生日を迎える半年ほど前だ。

 本来は「10年ほど社会経験を積んで、それを教育に活かしたかった」と考えていたが、父から校内の採用事情について聞いてシフトチェンジ。縁とタイミングは重要だと感じる。

「高校時代は当たり前のように試合に出ていましたが、大学では出られない人間の気持ちを体感させてもらった。それも少しは指導に活かせているのかな、という感覚はあります」

 いまは母校のコーチとして、3度目の夏を迎える。7月16日からの3日間は、全国高校7人制大会に参加。カップトーナメントで4強入りするまでの間、僅差での勝利を積み上げられた。

 あくまで、視線の先に花園を見据えていた。

「接戦で勝ち切れたのは、チームにとって大きかったと思います」

 指導者としての目標には、「人間を育てること」を掲げる。

「高校ラグビーに魅力を感じています。人としてどうあるべきかという人間教育が、そのままラグビーにつながっているような。ですので、人間を育てることに楽しみを感じています。人間を育てつつ、大学でも活躍する選手も育てられたら」

 コミットするのは、試合結果に対してだけではない。

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