長野の菅平高原で唯一のコンビニエンスストア「セブンイレブン 菅平高原店」に、リーチ マイケルがいた。オレンジのかごには、ペットボトルの水や缶ビールを入れていた。
陳列棚の上からのぞく頭、澄んだ瞳、隆起した上半身と腰回りは明らかに際立つ。すれ違った男子高校生風の2人組は、「え、本物?」と見合わせていた。
ワールドカップで日本代表の主将を2度、務めた33歳がこの地にいたのは、母校の応援のためだ。
7月18日までの3日間、全国高校7人制大会に参加する札幌山の手をサポート。リーチが飲み物の買い出しに来ていたのは、初日の夜だった。
日本代表の活動を終えたばかりだった。
6月3日から約1か月間にわたる宮崎合宿、25日のウルグアイ代表戦、7月2日、9日の対フランス代表2連戦にフルコミットしていた。この時はつかの間のオフの最中ながら、後輩たちを支えに来ていたわけだ。
もともとは札幌へ出向いての指導も検討していたようだが、妻の知美さんの故郷が長野にあることから菅平入りを決めた。
世間は3連休の只中。関東方面からの新幹線では、「立ってました」。家族は知美さんの実家に滞在。リーチは単身で上田駅から丘を登ったようだ。
チームに合流すると、佐藤幹夫部長いわく「ミーティングにも参加してくれました」。参加者の証言によれば、自軍のボールを大切に扱う、タックルをした後にすぐに起き上がるといった重要項目を具体例とともに伝えられたのがわかる。
当の本人は「基本的なこと(だけを話した)」と謙遜する。ただしリーチはその「基本」の徹底で、結果を残してきていた。
ダバジャブ・ノロブサマブー。アジアでの競技普及に注力するリーチの勧めで、モンゴルから来日した3年生である。競技を始めたのが来日直前期でありながら、今季、LOとして高校日本代表候補にも選ばれた。
ポテンシャルが買われるノロブサマブーは、今夏のリーチ訪問、さらには大会での自身のプレーぶりについて日本語で話した。
「今回、リーチさんが応援してくれたのは嬉しかったです。頑張っていいプレーをしたかったですが、思ったようにはできなかった。がっかりしています」
札幌山の手は結局、1日目の予選プールで2連敗。2日目以降は各組3位同士によるボウルトーナメントに進んで2勝も、最終日は青森山田に5-27で敗れた。
もっともリーチは、試合後の円陣では「切り替えて、(秋以降にある)15人制へ」。前向きに総括した。ノロブサマブーへの視線は温かい。
「ノロブ君とは、久々に会いました。身体もでかくなっていて、日本語もめちゃくちゃうまくなっていた。グラウンドに入る時、出る時に一礼したり、ご飯の時は『いただきます』『ごちそうさまです』とちゃんと言ったり。すごくまじめ。今回はいい経験になったと思います。昨日は、ノロブ君のお父さん、お母さんともZoomで話しました。息子が離れていて、寂しいみたいですね。僕(の高校時代)は1年に1回、(母国に)帰れましたけど、いまはコロナでそれもできなかったので」
自身も、このタイミングで菅平へ来られてよかったと話した。
全国高校7人制大会のゲームは、会場のサニアパークにある複数のグラウンドでおこなわれる。リーチは札幌山の手の試合がない時も、敷地内を回ってさまざまな強豪校の戦いにも視線を送っていた。
「高校生たちのラグビーを見て、すごく刺激になりました。札幌山の手と最初に当たった報徳学園高には、いい選手がたくさんいた(結局、日本一に輝く)」
旧交も温めた。松山聖陵の渡辺悠太監督は、リーチと同学年で東海大仰星の一員としてプレーしたことがあった。その世代でトップ級の存在となったリーチは、しみじみと言った。
「いろんな人に会えて楽しかったです。同級生や大学の先輩がいろんな高校のコーチや監督になっていました。高校時代に(入った選抜チームなどで)お世話になっていた先生もたくさんいた。ラグビーって、つながるなと。誰かが誰かの知り合いでした」
取材に答えたのは、最終戦の直後だった。
「一緒に写真を…」と歩み寄ってきたファンへ「一瞬、待ってもらえますか」。記者の求めに応じてくれた後に、その脇に並ぶ観客と即席の撮影会を始める。
実はそれまでの2日間も、同じようにしていた。トッププレーヤーの誠実な態度に、参加校の指導者たちは感銘を受けた。
下山後のリーチは、所属する東芝ブレイブルーパス東京の練習に加わったり、父が滞在するフィジーへ約3年ぶりに訪れたりと、時折、リフレッシュを図りながら身体を鍛え直す。次の日本代表活動は、9月上旬以降からの見込みだ。