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【コラム】赤い縦糸。帝京ラグビー50周年の爽やかな「前編」のキャストたち

2022.07.22

白井善三郎氏(左)と旧交を温める。増村昭策 名誉顧問(撮影:BBM)

「最良は、未来にあります。それを信じて、また一歩一歩、進んでいきましょう」

 優勝10回のチームを率いた前・岩出雅之監督が、呼びかけた。歴代のOB、チームスタッフ、現役、そして理事長・学長である冲永佳史氏ら大学関係者が集い、部の節目を祝った。

 7月10日、帝京大学八王子キャンパス内で120人を集め和やかな式が行われた。帝京大学ラグビー部創部50周年式典。1966年の大学設立間もなく数人が集まって芽を吹いたチームは、3年目に初合宿、4年目に同好会として認められ、1971年に正式な部として認められた。

 それから50年の間に培った部の歴史は後半の栄華と発展が目を引く。26年にわたって指導を続け、今年度から相馬朋和監督にタクトを譲った岩出雅之 前・監督の功績は大きい。序盤には1年間の公式戦辞退となる重大な不祥事もあっただけに、マイナスからのスタートとも言われる。大学史上最多の9連覇はラグビー界の金字塔だ。

「大学の医科学分野と連携した取り組みは、ラグビー部だけではなく大学全体の大きな成果になった」(冲永理事長・学長)。岩出雅之氏は新設されたスポーツ局の局長として多忙な日々を送る。ラグビー部は後進に託し、教育を、大学スポーツを前に進める部局で新しいチャレンジを仕掛ける。大学の教育とラグビー部の取り組み、ラグビーが、スポーツが「外」に向けてどんな価値を共有していくかに、ますます注目は高まっている。

 会の進行は部の歴史をたどる物語のようだった。前半には、故人となった初代部長・尾崎耕典さんをはじめ功労者が次々と紹介された。50年前からの思い出や教訓や期待が、色鮮やかに語られた。

 歴史の縦糸となったのは名誉顧問の増村昭策氏だ。 

 まだ部員が十人ちょっとしかいなかった頃、創部5年目(’74年)に就任した監督は、現在に至るまで部を支えてきた。全国を歩き回って選手を集め、指揮棒はたいてい他に譲りながら、色づく前の若芽を見守ってきた。監督に就任する時の逸話がこの先生らしい。監督として呼ばれたが、実は早稲田の優勝監督も関わるらしい。それでもいいかと訊ねられた増村先生はすぐに答えたという。

「いいも何も、早稲田の白井さんでしょう。ぜひ、お願いします」

 いい人が来てくれたと周囲にも話した。脂も乗ってきた三十代で高校からわざわざ転職してきて、そのように指揮を譲れる人がどれだけいるだろうか。

 実力も部員も足りなかった時代に、意気に感じてより熱っぽく動いてくれたその人は、早大OBの白井善三郎氏だ。当時大学連覇監督だったほどの人物が、まったく駆け出しの帝京大を都合3年にわたって指導したのは、アマチュア規定の厳しい無償ボランティアの時代の話だ。

 一方で白井氏は、帝京が対抗戦グループに加入する先鞭までつけてくれた。増村監督と明大・北島忠治監督(ともに当時)の間を取り持って、帝京は晴れて伝統校を軸とする対抗戦の住人となった。

 名実ともに大学ラグビーの盟主だった早稲田と明治が、赤子のようなチームの手をとってくれた。

「昔のことは色々忘れちゃったけれど、あの頃に感じたうれしさ、ありがたさはずっと覚えている。北島先生も、同郷の新潟だし家も近いしって、自分のような若造を構って下さった」(増村氏)

 赤子はのちに、旋風を巻き起こす存在になる。対抗戦独特の対戦順などクラシックな風土は、のちに昇竜の勢いで力をつけていく帝京大にとって大きな試練となった。しかし、それも振り返れば、部が盤石な体制を作り上げることができた環境の一つとなった。帝京大は対抗戦だからこそ逞しく育った。

 礎を築いた人々の中で、増村昭策氏はしなやかで決して切れない縦糸になっていた。

 現役時代はFL、スクラムを長く指導した。連覇の始まった2010年シーズンは週に2度はグラウンドに出ていた。新監督の相馬氏は元日本代表プロップ、指導においてもそのスペシャリストであるのは興味深い。

 日大鶴ヶ丘高校で教鞭を執っていた増村氏は、縁あって招かれた帝京大学で、一人、またひとりと有能な指導者を招いて、彼らが成長できる舞台を作ってきた。50年を一つの物語として眺めたい。岩出氏が大学と強く連携して築いたのが、たくましい「後編」だとすれば、数多くのキャストが紡いだ爽やかな「前編」から、心の真ん中にはいつも増村氏がいた。

 今も代表的な「早稲田の人」である白井善三郎氏のお祝いのスピーチは素直だった。

「今日は感染のこともあって、身内だけの会と聞いて。私もファミリーの一員として招いてもらえたことを知りました。とてもうれしい」(白井氏)

 ありがとう、仲間に入れてくれて。シンプルだけれど、いつもそうできるのは、かっこいい。

 横の糸は色とりどりだ。そこに芯を通している縦の糸は、ときどきの色味に控えて目立たつことはない。けれど、それなしに帝京ラグビーの絵柄はきっと仕上がらなかっただろう。

 会の終盤に、今をときめく日本代表・中村亮土がいみじくも話した。

「帝京OBはここが共通しているなと感じることがある、それは柔軟なこと。周りをよく見てどんな状況にも対応できること」

 縦糸のご本人は、にこにことそれを最前列で眺め座っていた。

(参考:ラグビーマガジン450号・巻末インタビュー『楕円の糸』森本優子)

左から岩出雅之氏、増村昭策氏、白井善三郎氏
50年の節目に。現役、大学、OBがともに将来を語った
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