ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】大阪オカンの送り出し方。

2022.06.22

5月23日に急逝した南光希さん。同志社大では昨年、共同主将をつとめた。母の繁世さんは取り乱すことなく喪主をつとめた。チームでは祭壇を作り、喪章をつけて今年のシーズンを戦う



「母親というのは、まあまあそういとこはあるんやけどな。あの人はその部分が強いわな。ずーっと反対のことを言うてるんやもん。でもな、周りはみんな分かってんねん。一番大事で可愛いのはあの子やったんやって」

 あの子、頑張ってるね。
「頑張ってへん」
 あの子、勝ってくれてうれしいね。
「うれしくない」

 評者は河瀬泰治である。「あの人」とは南繁世。大阪の母親=オカンである。

 オカンには韜晦(とうかい)がある。子供の才能すら包み隠す。褒めないし、おだてにも乗らない。内心は「でかした」。でも、そうとしない。「まだやれる」。オカンは今、介護系のビジネスを3つも回している。

 そのオカンの次男、「あの子」である光希(ミツキ)が急逝した。5月23日だった。182センチ、102キロの偉丈夫の心臓は突如、止まった。自宅への帰り道だった。23歳の誕生日を迎え、18日目。既往症はなかった。

 ミツキと河瀬の長男・諒介とは中高のラグビー仲間。勝山から東海大仰星に進んだ。2人は高3時、頂点を極める。97回全国大会決勝で大阪桐蔭を27−20で破った。ミツキはロック。同志社では共同主将になった。昨年度、58回目の大学選手権では2勝を挙げ、5年ぶり8強進出の先頭に立った。

「俺、あの子がちっさい頃から面倒を見ているあの人の姿を知っているからなあ。朝まで働いて、そのまま学校の役員をしたり、あの子の応援に行ったりしてたわなあ」

 河瀬には諒介がいる。今はリーグワンの東京SGのフルバック。同じ親として身につまされる。摂南の総監督としても日々、同年代の大学生に接している。元気だった若者がいきなりその順番をたがえる。底が見えない悲嘆は想像に難くない。

 オカンはその極限で、涙ではなく笑いの言葉をこぼした。この2つの感情は表裏一体。また、逆を行かないと生きていられない。さらに、オカンにとって生まれ育った大阪は商都ではない。笑都である。

 その通夜は24日。葬儀は25日。会葬者は1000を数える。
「娘と2人でお礼のおじぎをしながら、腰が折れそうや、って言い合ってました」
(本心=よくこれだけ弔問に来てくださいました。ありがとうございました)

 諒介も東京から駆けつけた。
「近所に住んでんのに、親族控室にふとんを敷いて寝かせたりました」
(本心=すぐ家に帰れるのに、息子のそばにいてくれて、ありがとうやで)
 河瀬は3回も葬儀場に顔を出した。

 仰星の監督、湯浅大智も足を運ぶ。
「2日とも来てくれて、えんえん、あっ、しくしく泣いていました」
(本心=よう連日お参りしてくれました。あなたの指導のおかげで息子は優勝できました。ありがとうございました)
 不惑の湯浅もまた教え子に先立たれる。

 仰星コーチの坂尻龍之介には声をかけた。元プロップの体重は150キロほどある。
「先生、心臓止まるよ、そのままやったら、と一応、言うときました」
(本心=気をつけてね。息子のように若くして大事に至るととってもつらいです)

 同志社ラグビーの関係者たちは祭壇の前で「Doshisha Rugby Song」(部歌)を歌う。
「モナが寝ずに棺のお守りをしてくれました」
 金谷萌凪(かなたに・もな)。同期の主務だった。ミツキは5年生だった。チームに集中するため、卒論の単位を残して留年を選択。今年は就活をメインにしていた。

「20回くらい棺の中の顔を覗き込んで、そのたんびにクソ泣きする子もいました。ウエッーって。息苦しいんやったら酸素ボンベ買ったろか、って言うたりました」
(本心=これだけ息子のことを愛してくれてありがとう。ご自愛を)
 若い参会者のために食事やアルコールはふんだんに用意した。
「飲ませて、つぶしたりました」
(本心=これが私のおもてなし。こういう時は飲むしかないの)

 同志社は喪章をつけて京産大との試合に臨んだ。本葬の4日後。しかし、結果は19−52。相手は昨年の大学4強である。それを踏まえながらもオカンはひとりごちた。
「負けやがって…」
 この言葉は額面通り。そう、喪章をつけたら、簡単に負けてはいけない。黒い印は軽いものではない。やらないと。

「こうなる予感はしてました。理由はわからんねんけど、1年くらい前から。でも、ミツキやとは思わなかった。ずっとそばにおる、離れなかった子やったから」

 残ったのは2人。長男の光弥(みつや)は同じ中学で競技を始め、都島工から関大に進んだ。ミツキは兄を追ってラグビーに関わる。妹は光璃(みつり)である。
「娘は人はいつ亡くなるかわからないから、好きなことをする、って言いました」

 オカンはわずかに本音をのぞかせる。
「子供を産むんやなかったな。こんな思いをするんやったら」
 今でも信じられない。
「わけがわかりません。いなくなったことはわかるけど、意味がわかりません」

 ただ、感謝は残る。
「楽しませてもらいました。ずっとおっかけをさせてもらった。菅平は特に楽しかったです。試合を見られて、ほかの親御さんとも仲良くなりました」
(本心=短い間やったけど、私の人生を豊かにしてくれてありがとう。来世もまた私の息子で生まれて来いよ)

 千々に乱れる心。そんな状況の中でも、ただひとつ、自明のことがある。取り乱しもせず、愛息を笑いで送り出したオカン。その姿は実に立派だった、ということである。


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