今年の欧州チャンピオンズカップでは、ラ・ロシェルが戦前予想を覆し初優勝、クラブの新たな歴史を作ったが、その前日(5月27日)に行われたチャレンジカップ決勝でも新しい歴史が刻まれていた。
チャレンジカップは、チャンピオンズカップに出場できなかった各参加リーグ(フランスのトップ14、イングランドのプレミアシップ、ウエールズ・アイルランド・スコットランド・イタリアのPro14)の昨季終了時点での下位チームが参加しておこなわれる。
プール戦を実施して上位10チームを決め、チャンピオンズカップでプレーオフ進出を逃した6チームが加わりプレーオフに挑む。
今年のチャレンジカップファイナルは、リヨンとトゥーロンのフレンチ対決となった。
4月にトップ14で対戦した際、トゥーロンがリヨンのホームで43-10と圧勝したこともあり、18週続いた連戦の疲労はあれども、勢いに乗っているトゥーロンが優勝するものと予想されていた。
しかし、試合序盤から凄まじいテンポとインテンシティーで攻め続けたのはリヨンだった。
リヨンの猛攻は80分間緩むことはなかった。最終スコアは30-12も、体感ではリヨンの3つのノートライ判定になった得点を加算したぐらいの力の差が感じられた。
試合後の記者会見でトゥーロンのフランク・アゼマHCは、「リヨンのパフォーマンスは素晴らしかった。80分間プレッシャーを受け続け、スペースも与えられなかった。すべてのセクターで上回られ、常に遅れをとっていた。ラグビーはプレッシャーのゲーム、プレッシャーをかけるか受けるか。残念ながら今夜は受けてしまった」と語った。
リヨンは今季開幕から前年度チャンピオンのトゥールーズを破るなど好パフォーマンスを見せてはいたが、波があった。
決勝戦では自分たちのベストなプレーを遂行し、勝利を決めた。
昨季途中からチームに加入し、5試合プレーしただけで、今季からキャプテンに任命されたFLジョーダン・タウファは「決勝のような大切な試合では、1年間練習してきたことを変えてはいけないということをクルセイダーズで学んだ。自分たちの強み、アイデンティティーを最大限出せた」と話した。
また、ヤン・ルベール会長も「試合前に僕が選手たちに言ったのは、自分たちのプレーをしようということだけだった」と言っている。
ルベール会長は10年前、2部リーグの8位だったリヨンの会長に就任した時に4つのステップのプロジェクトを掲げた。①トップ14昇格、②トップ14に残留、③アイデンティティーを築く、④タイトル獲得である。
2010年代前半にトップ14と2部リーグを行ったり来たりしていたチームは、2015年にピエール・ミニョニ現HCが就任してから変わった。翌年、トップ14に昇格。以来、同ステージに定着した。アイデンティティーも築いた。そして待望のタイトルも獲得。「4つのステップをすべて達成できた」とルベール会長は喜ぶ。
実はこのプロジェクトは、⓪から始まる。
「ただの投資の対象として存在するのではなく、このクラブには歴史があり、魂がある。1896年に創設され、1932年、1933年には国内チャンピオンになった。私たちはこの輝かしい歴史の継承者なのです」とルベール会長は説明する。
トゥールーズなどのラグビー人気が圧倒的に強いフランス南西部とは様子が異なり、リヨン市にはサッカーのオランピック・リヨネ、そしてバスケットのアスヴェルもあり、ラグビーの人気はまだ押され気味だ。
「リヨンという街は優勝に慣れている。この街で認めてもらうには、いいプレーをするだけでは足りない。優勝しなければならない」と決勝の前にFLディラン・クルタンが話していた。
今回のヨーロッパタイトルは、クラブにとって「初めて」というだけでなく、リヨンの男子スポーツにとって初めてのことだ。
決勝前日には、オランピック・リヨネやアスヴェルから激励のビデオメッセージが選手たちに届き、「街全体のサポートを感じた」と試合でトライを決めたCTBピエール=ルイ・バラシは言う。
この優勝がリヨンにとって特別な理由がもう一つある。
ミニョニHCは今季限りでリヨンを退団し、来季から彼の古巣のトゥーロンで指揮を執る。
「このファイナルはピエールが尽力して築いた1つのサイクルの終わりを表す。彼のおかげで僕たち選手もクラブも成長できた。彼に優勝を贈りたかった」と話すのは、この日のMOMに選ばれたSHバティスト・クイユーだ。
この週末はトップ14の最終節。リヨンは奇しくもチャンピオンズカップで優勝したラ・ロシェルと対戦する。ヨーロッパチャンピオン対決となる。
どちらもプレーオフ進出のためには勝たなければならない。
戦前予想はラ・ロシェルの勝利だが、チャンピオンズカップ、チャレンジカップの決勝で戦前予想があてにならないことが証明されたところだ。
今週もリヨンがサプライズを起こすことができるだろうか。