転職の意志を伝えたのは、今年の2月だった。
職場の仲間は驚くと同時に「そうだよね。ラグビー、やりたいよね」と理解してくれた。
三島藍伴(あいばん)は2017-2018年シーズンから4シーズンに渡り、キヤノンイーグルスでプレーしたWTBだ。
トップリーグ2021を終えた昨春、同チームでの現役生活を終えた。
社業に専念を。
戦力外通告を受けた。
まだやりたい。まだやれる。そんな悶々とした気持ちを抱えたまま時間は過ぎた。
「現実問題としてプレーを続けられるチームを探すことはできませんでした。実質的に引退。職場の方もいい方ばかりだったし、普通に働いていました」
ただ、トレーニングは続けていた。「どこかで、諦め切れていなかったんでしょうね」と笑う。
いま、京都にある島津製作所で働く。そして、『SHIMADZU Breakers』(以下、ブレイカーズ)でプレーを再開した。
トップウェストAリーグに所属し、昨年は史上最高位の5位となった。今春は大体大で主将を務めていた吉田海など8選手が加入(三島も含む)。リーグでの上位進出を目指しているチームだ。
三島が新たな活躍の場を見つけられたのは人の縁、楕円球のつながりがきっかけだった。
昨年10月に大阪府立摂津高校時代の同期でキャプテン、和久涼哉(わく・りょうや)が結婚した。
そのお祝いの席で出会いがあった。
ブレイカーズの人たちと祝杯をあげる中で、「うちはどうですか」と話をもらう。
後日、京都のグラウンドに足を運んでみた。自分も奥さんも関西出身。いいな。できることなら。思いが膨らんでいった。
そうはいっても、転職は人生における大きな決断だ。サポートしてくれている職場の人たちの気持ちも嬉しかったし、仕事もやり甲斐があった。
「でも、最終的にラグビーへの気持ちが上回りました」
ブレイカーズの山口朝憲部長兼GMの尽力もあり、今年に入って転職実現の環境が整った。
「(キヤノンの)職場の方にも、藍伴が幸せになる道を選んでほしい、と言っていただきました」
いい仲間に恵まれた。そう言ってもらえる三島の人柄も伝わる。
「高校時代のキャプテン、和久と一緒にまたやれる、というのも大きかったですね。ついていきたい、と思わせる人間なので」
引っ越しと出産が重なり妻には負担をかけた。しかし、産まれたばかりの娘の可愛さといったら。新たな生活は早くも充実している。
週2回の練習と、イーグルス時代と比べればグラウンドに立つ時間は少なくなったものの、ラグビーのある生活はやっぱりいい。
摂津高校で始めたラグビー。常翔学園との練習試合で百点差以上の完封負けも、ボールタッチの多かった自分を相手チームのコーチが見ていてくれたお陰で、立命館大学進学の道が拓いた。
「縁」に導かれる人生を昔から歩んでいる。
キヤノンにはトライアウト経由での入団だった。
2年目は特に充実していた。リーグ戦全10試合に出場。カップ戦の全5試合中3試合でプレーした。6トライ。体を張ったプレーと忠実な動きで信頼を得た。
その年の東芝との開幕戦の記憶は深く刻まれている(26-20/秩父宮)。 1年目は試合出場なし。オフの間に課題を改善してつかんだデビユー戦だった。
1点リードの後半35分、自らトライを挙げて勝利を引き寄せた。
HO庭井祐輔の顔面キックチャージから始まった攻撃。敵陣に入り込み、最後はFL嶋田直人からのパスを受けてインゴールに入った。
憧れていた立命館大学の先輩たちがつないでくれた。
新天地が決まった今回、イーグルスのかつての仲間たちから「ラグビーに帰ってきたか。待っていたぞ」とメッセージが届いた。
三島自身、「トップリーグで戦っていた時と同じ温度でやりたい」と誓う。
すでにリコージャパン戦、中部電力戦に出場。11番と13番で初戦をプレーし、2戦目は11番を付けた。
チームの連勝に貢献するも、「簡単なレベルではない」と言う。
「(自チームにも相手チームにも)いい選手たちがいます」
「中部電力とは28-26の接戦でした。昨季負けた相手に勝てたのは良かった。ただミスもありました。詳細が詰められていないところもあった。みんなで話し合って成長していけるチームになれたらいいですね。誰もが思ったことを言える集団になれるようにサポートしたいと思っています」
27歳。ルーキーイヤーながら、チームでは上から数えた方が早い年齢だ。経験もある。
「勝つことで、ラグビーがもっと楽しくなっていく。そんなことも伝えていきたい」と話す。
高いレベルでプレーする面白さも知ってほしい。
本気で挑めば願いは叶う。
プレーで見せると同時に、そんな話もできたらいいな。
京都という地域が、リーグワンに挑めるトップチームを求めているという話も耳にする。
いつかそのステージに上がり、イーグルスの仲間たちと再会できたら最高だ。