14年ぶりに戻って来た。ラグビー部の部長としてである。
石藏慶典(いしくら・よしのり)は今年4月から浮羽究真館にいる。この6月で52歳。ベテランの保健・体育教員でもある。
最初にこの福岡にある県立高校に来たのは1998年。当時の校名は「浮羽」。11年の在籍中、現校名に変わった。
「知っている先生で残っていたのは1人だけです。でも、アウエー感はありません。毎日楽しいです。純粋にラグビーがあり、15人以上の部員がいてくれています」
前任校は久留米筑水。ラグビー部はなく、バレーボールや柔道の顧問をした。その帰還まで、ラグビー部を守り、強豪化したのは監督の吉瀬晋太郎(きちぜ・しんたろう)。同じ保健・体育を教える同僚は、また浮羽時代の教え子でもある。
「自分なら教えてくれた先生と一緒にやるのは嫌です。やりにくいと思います。シンタローは偉いなあ、と思います」
受け入れてもらっている喜びは顔のゆるみに出る。普段は「キチゼ先生」と呼ぶが、時折昔の呼称になる。歴史がにじむ。
吉瀬は今年8月で37歳。母校で8年目に入った。今、部長を得る。
「石藏先生が戻って来てくださって、それはもう、すごく助かっています」
不在の時は15歳上の恩師に指導を頼める。デスクワークや保護者の対応も疎漏はない。
石藏は流れに身を任せている。
「異動願いは出していませんでした」
農業校を祖にする久留米筑水には3年いた。その間、教員として、幅の広がりを感じる。
「高校は机に向かうだけじゃないことを知りました。作業している姿が見えました」
校内で植木の剪定者に「ご苦労さまです」と頭を下げる。よく見れば生徒だった。
「成長の仕方は色々あることがわかりました。先生方も生徒を教え導くために様々なチャンネルを持っています」
学科は福祉や調理もある。生徒の個性を尊重しながら、教えを届かせ、社会に送り出す。久留米筑水の前は久留米に10年いた。ここは進学校のひとつ。勉強が主だった。
久留米ではラグビー部の監督だった。末期は小人数になる。その状況でバレーボール部と共闘。お互いの部員を貸し借りして、県大会に単独校として出場を続けた。その胸にアイデアを蔵する。
出身高校は筑紫。しかし、冬の全国大会出場6回のラグビー部ではない。バスケットボールをやった。競技を始めたのは福岡教育大に入学してからである。
「小さい頃に2、3回、ラグビースクールに行ったことがありました。今考えればラグビーと縁があったのかな、と思っています」
大学ではセンターやウイングをこなした。
浮羽は赴任3校目だった。ラグビー部ができたのは1965年(昭和40)。吉瀬の入学は2001年である。石藏の4年目。試合直前、士気を高めるため、石藏がバッグを持って、選手たちにタックルを入らせた。吉瀬もそれを受け継ぐ。今の高校生たちはそれを「吉瀬タックル」と呼んだ。
吉瀬は卒業後、一般入試で京産大に進んだ。監督の大西健の猛練習にも音を上げず、無名校、167センチと小さなハンディをものともせず、センターで公式戦出場を果たす。リーグワンの神戸のプロップ、山下裕史は同期。日本代表キャップは51を数える。
2015年、吉瀬は母校に赴任する。それまで、県大会8強が最高位だったチームを熱心な指導と行動で4強に押し上げた。3年前の新人戦と春季大会である。
ただ、5月22日にあった春季大会では8強戦で東海大福岡に10−20で敗れた。その上には東福岡がいる。冬の全国大会出場は県内最多の32回。優勝6回は歴代4位の記録だ。「10年で高校ラグビー日本一」をうたい就任した吉瀬にとって、東海大福岡はまだしも、東福岡とは相当な開きはある。その距離を縮める一手に石藏の着任はなってくる。
石藏は言う。
「シンタローを男にしたい」
常に言葉をかけている。
「最後はおまえが決める。先生が言うけん、やない」
練習メニューからメンバー選びなど現場のことはすべて吉瀬に任せている。
石藏の仕事はラグビーだけにとどまらない。浮羽究真館は1907年(明治40)に創立された全日制の共学普通科校である。その歴史ある学校の生徒育成部長として、全体のこともまた考えていかなければならない。
「定員割れがあります。1年生の定員は160人でしたが、入学は123人でした」
最寄り駅はJRの筑後吉井。久留米から40分ほどかかる。駅からは徒歩で約30分。学区制を撤廃した県内では、通学に不便で魅力のない学校は敬遠される。
その魅力を増すひとつの手段として吉瀬は今年2月、社会人ラグビーのクラブ「LeRIRO福岡」を仲間と立ち上げた。そこにはラグビー部の強化はもちろん、学校の認知拡大、街おこしなども含まれる。
「ラグビー部は地域に元気を与えられる存在になってほしいですね」
石藏はこの地を愛する。
「水と空気と人のよさ。素晴らしいです」
福岡市内出身ながら、妻とはここで出会い、子は2人を成した。このよき地に中学生たちを呼び込むためにも、教え子の指導者とともにまずはラグビーを軸に注力していく。