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「大阪最古の高校試合」ここに。天王寺高校ラグビー部創部百周年

2022.05.18

呼称は天高。紺と黄色が天王寺、青が北野のジャージーだ。彼ら自身がタイガージャージーと呼ぶデザインは、慶應義塾が、北野の青は京大にルーツがあると言われる。レフリーは日本協会A級の久保修平氏(写真:天王寺高校ラグビー部OB会)

大畑大介氏(左)と福岡堅樹氏のトークショー(写真:天王寺高校ラグビー部OB会)
記念式典に集まった錚々たる顔ぶれ。記念で調え、参加者全員で揃えたジャージーを着て(写真:天王寺高校ラグビー部OB会)

 百年にわたって、ラグビー部が存在している高校がある。

 大阪屈指の進学校でもある天王寺高校と北野高校が、5月3日、花園ラグビー場で試合を行なった。両校は100回近く定期戦を行うライバル(通算戦績は、天王寺66勝、北野30勝、2分け)で、今回は天王寺高校のラグビー部創部百周年を祝う記念試合で、天王寺が45-33で勝利し、節目の年に花を添えた。

 ちなみに現在行われている大阪総体予選リーグの大阪の出場校数の内訳は以下の通り。

 出場校29校。私立19、公立6、合同チームが4。慢性的は部員減の状況は変わっておらず、単独の公立校はより貴重な存在になっている。

 天王寺の部員構成は3年生は選手12名、マネージャー1名、2年生は選手4名、マネージャー2名、新入部員の1年生は選手13名、マネージャー2名だ。

 総勢34名。特に1年生は15名の入部。大阪総体のさなか、部員勧誘を頑張り多数の入部に結びつけた。

 同じ日の午後には、大阪市内のホテルで260名が参加し、記念式典が行われた。関西協会幹部や、大阪、兵庫の高校OB会長といったVIPに加え、場をいっそう盛り上げたのは大畑大介氏に福岡堅樹氏。元日本代表のレジェンド二人のトークセッションだ。

「天王寺ラグビー関係者はラグビーが大好きな集団」「試合でミスした時の対処は?」など、大畑氏が選手目線を交えた質問で福岡氏からさまざまなエピソードを引き出した。トークの途中では福岡堅樹氏の実父である福岡綱二郎氏が紹介される一幕も。氏は天王寺高校OBだ(堅樹氏は福岡高校OB)。

 天王寺高校ラグビー部は1922年(大正11年)創部。もちろん、大阪府下で最も古い高校ラグビー部だ。以来、全国大会に19回の出場を果たし、うち優勝2回・準優勝3回を遂げその歴史を今につなぐ。

 OBはまさに錚々たる顔ぶれで、学会、経済界に人材を輩出する。大学でラグビーを継続する選手が多いのも特徴で、数々の名手だけではなく、故 西野綱三氏(早大)、故 岡仁詩氏(同志社大監督)ら日本代表監督を務めた指導者、そして福本正幸氏(神戸製鋼チームディレクター)のようにマネジメント面でラグビー発展に貢献する存在も生み出した。アートデザインの世界では長友啓典氏(K2)などもOBとして知られる。天高ラグビーという土壌の幅広さ、奥深さを示すようだ。

 式典の最後、青木一彦OB会長の言葉は来場者の心を掴んだ。

 百年前から伝わる、創部時の話だ。

 天王寺で楕円球の部を創部したものの、生徒たちはルールや練習の仕方も皆目わからない。そんな話を聞きつけ、手を差し伸べてくれたのはOBだった。大学入学後にラグビーをしていた先輩が「天王寺でラグビーを始めたのか。それなら俺たちが」とわざわざ指導しに通ってくれたという。

 愛情をもって先輩が後輩の面倒を見る。それが百代続いているのが、天王寺のラグビーだと、後輩たちに語りかけた。

 百年間つながってきた心のパスが、ずっと続くように。

 これまで、これから。式典が終わっても続いた「仲間」との夜は、ふけるのが惜しい時間になった。

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