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勝ちたい気持ちを強く。佐藤明善氏が変えた横河武蔵野アトラスターズのラグビー精神

2022.05.17

NTTコミュニケーションズとの2007トップイースト11最終戦ロスタイムにインターセプトから一気に駆け上がるHO佐藤明善(中央)。当時32歳。(写真提供:横河武蔵野アトラスターズ)

現在46歳。横河武蔵野アトラスターズでFWコーチ(兼DFコーチ)を務めている。(撮影/山形美弥子)
横河武蔵野と成蹊大の合同スクラム練習を指導する佐藤氏(中央奥)。(撮影/山形美弥子)



 2007年12月24日、秩父宮。
 横河電機ラグビー部(現・横河武蔵野アトラスターズ)はこの日、NTTコミュニケーションズとのトップイースト11最終戦を29−18の完全勝利で締め括り、喝采を浴びていた。

 チームはこの年、安田真人監督(元日本代表)、吉田義人ヘッドコーチ(元日本代表)のもと、ベテランと若手が息を合わせ、かつてない飛躍を遂げた。三洋電機ワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)から横河電機へ移籍して2年目のHO佐藤明善(あきよし)は、経験値とラグビーセンスを放散し、躍動していた。

 試合は横河電機が強力なFWを全面に押し出し、前半から優位に立った。
 18分にNO8ラディキ・サモ(元豪州代表)が先制トライを奪うと、28分にLO山崎豪(現・横河武蔵野ゼネラルマネージャー)、38分にFL黒須夏樹が2トライを積み増し、SO野本滋雄は2本のゴールを決めた。24分と43分、相手にPGを許し、19−6で折り返した。

 山崎GMは、「明善が試合前の円陣で『ラグビー人生を賭けろ!』と鼓舞していました。私はトライ後に嬉しくて、あるいは、これまで負け続けてきたうっぷんを晴らすためか、グラウンドにボールを叩きつけて歓喜の雄叫びを上げました。勝ち進むにつれ、社員、OB、ファンがグランドに足を運んでくれて、関係者が一体になったのを覚えています」と振り返る。

 13点ビハインドを背負ったNTTコムが、後半に入り輝きを取り戻す。
 10分にCTB菱山卓がインゴールを割ると、SO君島良夫もキックをねじ込み、19−13とした。14分には横河電機NO8サモがこの日2本目のトライを挙げ、24−13と点差を広げる。
 それでも食い下がるNTTコムは、終盤に差し掛かる流れの中で再度反撃に出た。

 ロスタイムに入ると、NTTコムが終始ボールを支配した。
 41分にはWTB矢口和良がインゴールに持ち込み、5点を獲得。24−18まで追い上げた。逆転ムードの高まる中、再び10メートルから22メートル中間まで攻め込むも、横河電機HO佐藤にインターセプトされてしまう。

 43分、相手ボールを奪った佐藤が鎖を引きちぎった猟犬のようにライン際を駆け上がった。ルーキー・CTB田沼崇が並走し、ボールをもらおうと手を挙げている。
 次の瞬間、佐藤の左足がチップキックを放ち、ボールはインゴールに転がり込んだ。猛追するNTTコム。全力疾走する田沼。

 命運を賭けたこのキックチェイスを振り返り、田沼氏は、「当時はキムさん(木村耕・元7人制日本代表フィットネスコーチ)のフィットネストレーニングのおかげと若さもあり、後半最後の最後まで全力疾走ができた。NTTコムの選手とボールを追いかける形でしたが、最後抜け出すことができました。トライ後はCTB藤山慎也さんに抱きかかえられ、ベンチにいたメンバーも飛び出してきてくれて、全員で喜んだのを覚えています」と語った。

 その後、翌1月から2月におこなわれたトップリーグチャレンジシリーズ1では、マツダブルーズーマーズ(現・マツダスカイアクティブズ広島)に勝利し、トップリーグへの自動昇格を決めた。
 それを機に、横河電機はチーム名称を『横河武蔵野アトラスターズ』に変えた。

 15年が経ち、現在佐藤氏はFWコーチ(兼ディフェンスコーチ)としてチームを支えている。

 佐藤氏の薫陶を受けた選手の一人、福岡員正(かずまさ)FWアナリストはこう話す。
「明善さんはとても器用で(試合の)読みが良いので、インターセプトできたり、裏にキックしてボールを転がせたりするんです。バックローみたいな動きをするフロントローというイメージです。スクラムでは対面との勝負、8人の一体感を意識していました。『バックファイブが気合い入れろ』と。
 指導者としての明善さんから教わったことは、どれだけ気持ち作りが必要か、ラグビーするメンタリティーです」

 2012年から2017年に横河武蔵野で佐藤氏の指導を受けた川嶋雄亮氏は、こう続ける。
 「私がキャプテンをしていた2013年最後の試合、対中部電力戦でのことです。入替戦にいけるかもしれない大事な試合でした。しかも、23点差以上つけて勝利しなくてはいけない。
 最終戦だったため、チームみんな、もちろん私も、精神的にも身体的にも疲労していました。そんな中、明善コーチが最後の円陣で『命懸けろ!』と一言」

 当時のチームスローガンは『一“笑”懸命』。その言葉には、「一からのスタート、笑顔絶やさず(楽しく)、命懸け(人生を賭けて)」という意味が込められていた。
「そこでアキさんの一言に救われたというか、思い出させてくれたというか、疲弊しきったチームを奮い立たせてくれました」

 その結果、チームは中部電力に23点差をつけて勝利し、無事入替戦へ進んだ。こうして佐藤氏は現役引退から2年後、チームマネジメントにも成功した。

今シーズンの春季オープン戦初戦に出場する選手たちを見守る佐藤氏。(撮影/山形美弥子)



 佐藤氏は華麗なラグビー歴の持ち主だ。
 代表歴は、U23、日本代表A、日本選抜、7人制日本代表。1993年全国高校大会優勝(相模台工)、1997年関東大学リーグ戦2部・優勝(山梨学院大)、1997年東日本社会人リーグ優勝(三洋電機)、2003年アジア4ケ国対抗優勝(日本選抜)、2007年トップイースト11優勝(横河電機)と、各カテゴリーで優勝メンバーになっている。

 それぞれの優勝決定戦の日、佐藤氏の中にあったのは『勝ちたい』という強い気持ちだけ。アドレナリンでスイッチが入って興奮状態になり、円陣で誰が何を言ったかさえ全く覚えていないそうだ。

 優勝したチームの成分になっていたのは、本気のハードワーク。
「どの優勝チームも、個々のメンバーが本気でハードワークしていた。全員が優勝という一つの目標に向かっているからまとまりがあって、信頼し合って団結していた」

 なおかつ優勝した年に居合わせたメンバーには、ケミストリーを感じたという。
「個々の才能が化学反応を起こして強くなるようなイメージです。やっていくうちに、『このメンバーなら行ける』っていう感覚がありましたね」

 山梨学院大3年時、関東学生代表に選ばれた。関東大学リーグ2部から呼ばれたのは1人だけだった。そこで得た感触を持ち帰り、1部との差は思っているほど大きくないとメンバーに伝えた。
「マインドチェンジが起きたんですね。『だから俺たちは絶対に1部に行ける』となって、翌年優勝できて1部に初めて昇格しました」

 2007年にも同じことが起きた。
「三洋電機から横河に移籍した当時、選手の補強もしっかりするし、レベルの高い選手がいたし、しかも一生懸命だったので勝算があると感じました。『みんなならトップリーグに行ける』と話しました」

 佐藤氏のラグビー精神は、トップイースト界だけでなく、若い世代にも広く受け入れられた。
 日本代表として国際大会出場の経験を持つ佐藤氏の手法が、将来の日本トップクラスや世界で活躍する候補生の育成を目指す、ジュニアクラスの基本スキルの向上に用いる方法論に極めて有効だったからだ。
 横河武蔵野スポーツクラブが運営する『ラグビーアカデミー』で、中学生を対象にコーチを務めている。

「ラグビーアカデミーは、ラグビーが好きで、楽しくラグビーをしたい、学びたい子供たちに、ラグビーができる場を提供するためにあります。ただ、僕自身が一番強調したいのは、ラグビーを通じて自分の可能性を広げ、人間力を磨く場所だということ。基本スキル向上を目指し、どのカテゴリーでも必要とされる基礎トレーニングに注力し、拘りをもって指導しています。アトラスターズJr.アカデミーから日本を代表する選手が出たら嬉しいです」

 横河武蔵野の練習計画は髙島大地ヘッドコーチ、佐藤&小笠原和徳FWコーチ、松村表BKコーチが中心となって立案し、深堀敏也監督の許可を得て実施という流れになる。
 練習の目的、具体案がしっかり検討されていないと、コーチたちもオーバーワークせざるを得ない。選手だけでなく、スタッフにも緊張感を伴うハードワークが求められる。

 今年の秋に開催される2022年のリーグ戦で、横河武蔵野がどんな戦いを見せるか。
 そこにもまた、佐藤氏の影響を見ることができるだろう。

※詳しいチーム情報は横河武蔵野アトラスターズ公式ホームページでご確認ください。

横河武蔵野スポーツクラブのラグビーアカデミーでは男子中学生を対象に指導をおこなっている。(撮影/山形美弥子)
その多大な影響はトップイースト界だけでなく青少年育成の世界にまで及ぶ。アトラスターズJr.アカデミーのメンバーと。(撮影/山形美弥子)
2007年12月24日、チームの歴史を変える目覚ましい活躍を遂げたメンバーとその関係者たち。(写真提供:横河武蔵野アトラスターズ)