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【ラグリパWest】復活の足音。中井俊行 [大阪体育大学ラグビー部 部長兼監督]

2022.05.12

この新年度から、大阪体育大学ラグビー部の監督と部長を兼任することになった中井俊行さん。関西大学Aリーグ復帰のため、これまで以上に尽力する。グラウンド東側のスタンドにあるラグビー部のエンブレムの前で



 中井俊行は大阪体育大学のラグビー部を卒業生として一番知る。

 この4月から、愛称「タイダイ」の監督になった。これまでの部長と兼務。指導の最前線に立つ。部内ではGM兼監督の中谷誠、ヘッドコーチの安藤栄次が退任した。

「学生たちが頑張って、勝ってくれたら、幸せやなあ。そんな風に考えるのは、それだけ年がいったっていうことかなあ」

 顔の真ん中にしわが寄る。その笑顔は変わらないが還暦手前。学内では体育学部の准教授。周囲は「先生」と呼ぶ。

 ラグビーでは喫緊のミッションがある。
「Aリーグ再昇格」
 タイダイは来るべき秋を含め3年を関西大学リーグのB、すなわち二部で過ごすことになっている。

 中井の恩師であり、中谷の前にチームを率いたのは坂田好弘。アジア人として初めてラグビー殿堂に入った。70歳になった2012年のシーズンを最後に勇退する。その後、今年を含み10年中6年はBリーグになる。

 中井は前任者を肯定する。
「タイダイはよくなってきていると思う。ただAリーグの8チームも全部が強くなっている。差は詰め切れてへん」
 今回、復活の軸に据えるのは、「ヘラクレス軍団」と呼ばれた強力FWの再生である。

 タイダイの創部は1968年(昭和43)。58回を数える大学選手権には27回の出場がある。出色は1989年度の26回大会。4強に進んだ。坂田はウエートトレだけの日を作り、学生たちの肉体を鍛え上げる。当時は画期的なことだった。ヘラクレス軍団のゆえんである。
 中井はコーチとしてそれを支えた。早稲田には12−19で敗れたが、その赤黒は決勝で日体大を45−14と圧倒する。

 タイダイは早稲田のスクラムを粉砕した。ミスがなければ最高位の4強3回は変わっていたはずだった。主将は右プロップの高橋一彰。タイダイ初の日本代表になった。トヨタ自動車でキャップ21を得る。早稲田を統率したのはナンバーエイトの清宮克幸。日本ラグビー協会の副会長である。

 中井もまた現役時代には、主将としてタイダイを初の関西リーグ制覇に導く。早稲田との7点差に先立つ4年前のことだ。絶対的王者だった同志社を34−8で破る。リーグ戦連勝を71で止め、10連覇を阻止した。ポジションは右プロップだった。

 長崎正巳は中井の選手時代を語る。
「すごい選手やったよ。FW第一列はどこでもできた。ラインアウトのスローイングも正確やった」
 170センチ、80キロほどの体で強力なスクラムを支えた。長崎は1学年下。センターとしてこの同志社戦にともに出場する。現在はタイダイの職員。部ではメンター。今ではコーチングも施し、先輩の中井を助ける。



 中井はその公式戦出場を努力でつかんだ。入学当時、「部員全員の力を知りたい」と6つほどのチーム割りができた。中井の名前は抜け落ちていた。印象は薄かった。
「それをエネルギーに頑張った? 頑張ったんやろうなあ」
 他人事のように笑うが、個人練習に没頭。翌年からレギュラーになる。

 中井は卒業と同時に大学に残り、研究生として教員の道を歩む。大阪の牧野高から18歳で入学したことから考えればすでに在籍は40年を超える。坂田以上の月日が流れる。

 以前、中井はメンバー選考に関して話したことがある。
「自分に選ばせてもらえるなら、半分くらい違う選手になっていると思う」
 ラグビーを教育の一方法として考える。やんちゃやだらしない選手を干すのではなく、楕円球を持たせながら矯正させていく。

 中井の長男・悠人(ゆうと)は大阪教育大の大学院2年。同じBリーグ所属のチームでロックとしてプレーを続けている。学問もラグビーも父の背中を追っている。

 その中井が監督となって初めての対外試合が5月7日にあった。相手はIPU・環太平洋大。40分ハーフの試合は17−36(前半17−29)と敗北する。メンバーを替えた後半、スクラムは2度、走らされた。

「言い訳になってしまうけど、ケガ人が多い」
 昨年12月の入替戦は関西学院に17−48。その試合に出たフロントロー4人は全員ケガなどで欠場した。副将の五十野海大(いその・かいと)もいなかった。182センチ、110キロで格闘の中心になるロックである。

 敗戦を踏まえて主将の岩本晃伸(こうしん)はこれからを見据える。
「スクラムの安定は不可欠です。これからやっていきたいと思っています」
 岩本はフランカーとして先発した。

 タイダイには「スクラム坂」がある。グラウンド横の斜面に人工芝を敷いた。坂田が作った。中井はその坂に視線を送る。
「使いたい。修理せんとアカンけど」
 坂の人工芝はめくれ、砂が露出している。
「ケンタローやワンはここで押し上げた」
 長崎の長男・健太郎と王鏡聞(わん・きょんむん)のOB2人の名前が挙がる。同期のフロントローは卒業後、新旧の神戸製鋼でともに深紅のジャージーを着る。
「タイダイやで。特徴がないとな」
 中井には伝統を守る覚悟がある。

 その公式戦ジャージーは黒白。これは1977年、坂田の着任後に作られた。現役時代の坂田は近鉄のウイングとして、日本代表キャップは16を得ている。
「ニュージーランド代表の強さに示される黒、純真な白を合わせた、と坂田先生から聞いた」
 中井はそのジャージーにもう一度きらめきを重ねたい。21人の新入生を含め96人の選手とともに、そのことを使命とする。