ラグビーリパブリック

優しさ、笑顔を忘れない。『日比野弘さんを囲む会』に約500人

2022.05.04

展示会場には貴重な写真、資料が置かれていた。(撮影/松本かおり)

祭壇に献花するご家族。(撮影/松本かおり)



 多くの人たちが足を運び、穏やかな人柄だった故人を思い出した。
 5月3日、『日比野弘さんを囲む会』が都内で開かれた。多くの早大関係者をはじめ約500人が訪れ、献花した。

 また、『囲む会』の前には叙位伝達式もおこなわれた。
 元日本ラグビー協会会長で、今回の囲む会発起人のひとり、森喜朗氏から令夫人、日比野正子さんへ従五位の伝達がおこなわれた。

 日比野さんは公益財団法人日本ラグビーフットボール協会名誉顧問・元名誉会長で、昨年(2021年)11月14日に86歳で逝去された。

 1934年(昭和9年)11月20日生まれ。東京都立大泉高校でラグビー部。早大に進学し、ラグビー部でレギュラーになった。早大4年時に日本代表に選出。WTBとして活躍。キャップ3を持つ。

 1958年におこなわれた名勝負、全早大×オールブラックス・コルツに出場している。
 早大では名誉教授も務めた。2005年1月22日に早大・大隈講堂でおこなった最終講義では、その試合の映像を流した。ご自身が得意のスワーブでトライを奪ったシーンが映し出されると会場から大きな拍手が起きた。

 予定されていた90分の時間を超過した。「ラグビーを通じて、信頼しあえる仲間と出会い、支えられた。幸せ者です」と挨拶した。最後に、「来週以降は休講とします」と締めくくった。どんな時もユーモアを忘れなかった。

 早大ラグビー部監督は4期(8季)務め、日本選手権優勝1回、大学選手権優勝3回。日本代表監督としてはカナダ、ニュージーランド、ウエールズに遠征。第5回アジア大会ではチームを優勝に導いた。

 ジャパンの指揮官としてもっとも強烈な印象を残したのは1983年の日本代表ウエールズ遠征だ。
 テストマッチで24-29。当時欧州最強だったウエールズ相手に好勝負を演じた。

 テレビ放映時の解説者としてもファンに広く知られ、好評だった。
 柔らかな語り口。誰にでも分かりやすい内容。優しさが伝わる解説で、ラグビーのおもしろさを広く伝えた。

『囲む会』に参加した早大OB、日本ラグビー協会の清宮克幸副会長も、日比野さんに早大に誘ってもらったこと、卒業論文を褒めてもらったこと、自身の試合を何度も解説してもらったことを懐かしんだ。

『囲む会』の発起人のひとりでもある日本ラグビー協会の森重隆会長は、1976年に日比野監督、森主将として、日本代表のカナダに遠征した。

「日本代表の監督といえば激しい気性の方が多かったが、(日比野さんは)本当に怒らない方だった」と振り返り、穏やかな態度で選手の自主性、チームの結束を促していたという。

 故人はこれからも、多くの人の心の中で、いつまでも笑顔を見せ続けてくれる。



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