ラグビーリパブリック

【学生スポーツ最前線】大野均さんから都留文科大学ラグビー部へ。日本代表最多キャップホルダーがエール

2022.04.27

大学生たちの純粋さに触れ、応援する大野さん。(写真提供:東芝ブレイブルーパス東京)



 日本代表で歴代最多98キャップを保持する大野均(おおの・ひとし)さんが、関東大学リーグ戦5部に所属する山梨・都留文科大学ラグビー部にエールを送った。

 都留文科大学ラグビー部は、2021年秋、コロナ禍による活動休止で大会欠場を余儀なくされたものの、「せめて1試合」の想いからTwitterで引退試合(練習試合)の対戦相手を募集。呼応した一橋大学ラグビー部との練習試合を実現した。

“最後の願い”を実現した都留文科大学ラグビー部のストーリーは、ラグビーリパブリックにて【学生スポーツ最前線】 都留文科大学ラグビー部の「葛藤」と「感謝」として掲載された。

 現在東芝ブレイブルーパス東京でアンバサダーを務める大野さんは、そんな都留文科大学ラグビー部の記事を読んだ感想を率直に語った。

「コロナ禍で学生たちのモチベーションが下がる様子をまざまざと見せられたと感じました。新入部員が入ってきたけど活動できない。活動できないなら意味がない。学生たちの『気持ち』の部分を知ることが出来ました」

 高校球児だった大野さんは、日本大学工学部でラグビーを始めた。日本大学工学部ラグビー部はトップレベルからは遠い東北地区大学リーグ所属だった。

「全国でも無名なリーグです。しかも1、2年生は1部にいましたが、3、4年生は2部で活動しました。部員数も17人くらいで、ちょっと怪我人がでたら15人揃わない状況でした」

「先に出場辞退を申請した方が不戦敗なので、ぎりぎりまで言わない、というような駆け引きもありましたね(笑)。それでもラグビーには熱い想いをもってやっていました」

 大学時代は無名だった大野さんだが、国体の福島選抜チームに選ばれ、そのプレーぶりを見た選手兼FWコーチの高木邦夫さんの推薦によりブレイブルーパスの練習に参加。加入への道が拓けた。

 以来、2020年まで選手として19年在籍し、通算170試合出場。日本代表ではワールドカップ3大会(2007、2011、2015)に出場した。朝早くから農作業をする両親の背中を見て育ち、新聞配達は中学1年から6年間、雨の日も雪の日も、高熱を出しても戸口から戸口へ走った。

 信条は「灰になっても、まだ燃える」。そんな大野さんだから、コロナ禍であっても「いつかは良い方向へ向かう」とポジティブな姿勢を忘れない。

「2015年ワールドカップの直前に行われた宮崎合宿はみんなが『きつい』と言っていましたが、僕は『つらいことでもいつかは終わる』と感じながらやっていました。コロナ禍もいつかは良い方向に向かうと思います。ただ、部活は3年間、4年間など時間が限られていて、良い方向に向かわないままラストシーズンが終わってしまうこともあるのだなと思いました」

「そんな中で、都留文科大学ラグビー部のみんなは『どうにかして良いものを掴んで学生生活を終わろう』と考えて、行動に起こしました。その呼びかけに一橋大学ラグビー部さんが応えてくれた。SNSで多くの人に呼びかけられる今の時代の利点を活用した、素晴らしい行動だったと思います」

 日本ラグビーが世界に誇る鉄人だが、心の中には、野球部に入ろうと思っていた大学入学時の思い出がある。

 ラグビーに出会えて良かった。心からそう思えるから、いま都留文科大学ラグビー部へ、そして入部を迷っている新入生に伝えたい言葉がある。

「記事を読む限り、都留文科大学ラグビー部さんには良い雰囲気が伝統としてあるんだなと伝わりました。ぜひ大切にしてほしいです。Twitterを使って引退試合を実現した先輩達の行動力は、文化として残っていくものだと思います。新入生に伝えれば、かならず伝わると思います」

「ラグビーはきついスポーツですが、そういう想いを共有できることは仲間を作る上で大きいと思います。入部すれば、かならず仲間はできます。入部を迷っているのであれば、一度ラグビーに触れてほしいですね」

 コロナ下でも知恵と情熱は表現できる。それを評価してくれる大人たちもいる。新たなステージで一歩を踏み出し、ぜひ新たな仲間と知恵と情熱を表現してほしい。

※ 学生のみなさん、直面しているスポーツの「今」を聞かせてください!
DMは「一般社団法人スポーツを止めるな」公式アカウントまで
■Twitter
■Instagram


Exit mobile version