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【ラグリパWest】愛称「おっさん」、本物のおっさんになる。中田章浩 [常翔学園FWコーチ]

2022.04.27

母校・常翔学園でラグビー部のフルタイムのFWコーチになった中田章浩さん。この4月から3年目に入る。野上友一監督を補佐し、冬の全国大会で6回目の優勝を狙う



 愛称は「おっさん」。そう呼ばれた中田章浩は正真正銘のおっさんになった。還暦だ。

 今は常翔学園のFWコーチである。母校は冬の全国大会出場40回、優勝5回は歴代5位の記録になる。

「この年で好きなラグビーに携われて、高校生の変化を日々見てとれる。幸せや」
 おっさんのあだながついたのは中学の時らしい。老け顔。大阪の中坊たちはそこを突く。ただ、利点もある。60歳になっても、衰えを感じさせない。人生は行って来いだ。

 母校のコーチをフルタイムでつとめ、この4月で3年目に入った。
「業務委託でさせてもらってる」
 7時からの朝練習に付き合い、放課後の練習に出る。その間は深江橋の実家に戻る。85歳の母の面倒を見る。

 監督の野上友一の評価は高い。常翔学園の前校名、大阪工大高における3年先輩である。
「昔、ようおった雷おやじや口うるさいおばはんの役をやってくれてはる。助かります」
 常にトレーニングの中に入り、「速く」、「もっと」、「まだまだ」などと声をかける。

 中田の専門はスクラムだ。現役時代は169センチ、85キロの体でフロントローだった。
「スクラムは毎日、組めてる感じや。部員たちには、用意してこいよ、と言うてある」
 野上も同じポジションだっただけに、スクラムの大切さを知る。
「組み止める、押し切るなど、ラグビーに必要な体の使い方を学びます」
 高校特別ルールで1.5メートル以上は押せないが、もっと核心的な部分を大切にする。

 中田はスクラム強化のポイントを話す。
「まずは数を組むことや。その次がウエイト。体幹を鍛える。スクワットやデッドリフトなんかやな。せやけど、数を組んでたら、そんなことをせんでもいいんやけどな」

 中田のスクラム人生は15歳の時に始まった。大阪工大高に入学後、当時の監督だった荒川博司に言われた。
「6月までに体重を65キロにしろ」
 そうすればスタンドオフを続けられた。競技は城東五中(現・城東中)で始めていた。
「そんなん、落とせるわけないやん。そん時の体重は80キロやで。気がついたら背番号10から0が取れてしもうてたわ」

 天理大に行って、大学生と泣きながらスクラムを3時間も組み続けた。耳はすぐに腫れ、ギョウザになった。
「ウォークマンで歌を聞きたかったわ」
 ヘッドフォンが耳になじまない。小型の音楽プレーヤーをつけて街を歩けなかった。当時は若者のおしゃれの象徴だった

 ファッショナブルになれなかった分、レギュラーは押さえた。全国大会には2度出場。58回大会(1978年度)は初戦で敗退。目黒(現・目黒学院)に3−8。59回大会は4強で抽選負け。國學院久我山に3−3だった。



 卒業後は京産大に進む。
「初日の練習で倒れたわ。ラン、ラン、ラン。スパイクを履かずにずーっと走ってた」
 監督の大西健はまだ30代。出身の天理大譲りの猛練習を選手たちに課した。

 大学でも疲弊の代償は手にできた。チームは3年時に大学選手権に初出場。19回大会(1982年度)は1回戦で早稲田に16−45。当時は8校制だった。次の20回大会は4強敗退。準決勝で同志社に15−46。相手は3連覇の2連覇目だった。同級生の大八木淳史やひとつ下の平尾誠二を擁していた。

 就職はアパレルのワールド。1984年、ラグビー部を立ち上げた。その1期生になった。
「一からチームを作り上げる、というところに魅力を感じてん。楽しかったなあ」
 社会人では日本代表の下に位置する日本選抜に選ばれた。

 34歳で現役を引退。その後は部長などをつとめた。ハイライトは全国社会人大会(リーグワンの前身)の準優勝。52回大会(1999年度)は神戸製鋼に26−35。その愛着のあるチームは2009年、なくなる。成績不振などを理由に廃部に至った。

 中田は社業を続ける。退社はその6年後。損保系の会社に4年、籍を置いた。2020年から常翔学園のフルタイムコーチ。9年前から週末はコーチングを施していた。

「ここまでこれたんは荒川先生のおかげや。先生がFWに行け、って言ってくれたから今がある。しんどかったけど、レギュラーになれた。BKやったら大学にはいけてない」

 自分がそうだったから、FW第一列にコンバートされても、前向きに取り組んでほしいと願う。新3年生の田中一誠と井場元誠はともにBKあがりのフロントローだ。
「大学に行くのに有利やと思うよ。どこもみんなそこを探しているからな」
 入学すれば即、無条件の押し合いになる。常翔学園はそれにすでに慣らせてある。

 今年のチームは春の選抜大会の出場はならなかった。近畿大会で京都成章に31−36。4つあるブロック決勝で敗退した。そこで敗れた4チームが抽選を行い、5つ目の出場枠を決める。当たりくじは天理が引いた。

 その後の練習では1時間は基礎に励む。逆立ち歩き、ひとかかえもあるバランスボールの取り合いなどをこなす。野上は言う。
「結果が出ない時は、戦術や戦略に走りがち。せやけど、こういう時こそ、基本に立ち返る練習が大切やと思う」

 野上は常翔学園の全国大会出場のほぼ9割、35回に関わった。選手で3回、コーチと監督で32回。中田はこの先輩をそば近くで盛り立てていきたい。それは恩師の荒川に対する恩返し、そして供養でもある。