青空。多くのファンがいた。
遠くには散りかけたサクラ。穏やかな午後に詩的で素敵なスピーチが流れた。
4月9日、江東区夢の島競技場。リーグワン、ディビジョン3の清水建設江東ブルーシャークス×豊田自動織機シャトルズ愛知の試合後だった。
ブルーシャークス、髙忠伸の引退セレモニーがおこなわれた。
60-14とシャトルズが大勝した80分。
しかし両チームのファンが大勢スタンドに残った。熟練FBの言葉に耳を傾けた。
41歳の髙は、同い年でチームの指導にあたる麻田一平ヘッドコーチ(以下、HC)と、シャトルズの徳野洋一HCから贈られた花束を受け取った後、マイクを渡されて話した。
ファン、対戦相手に向けて感謝の気持ちを伝え、「(自分は)しがない、いちラグビー選手。こんなセレモニーをやってもらうような選手ではない」と照れて、続けた。
「サクラの花が咲く季節が大好きです。(ここ)夢の島も綺麗な桜が咲いています。いま、散り際ですね。サクラが花を咲かせたあとに、花びらが舞い散るところが好きです。舞い散るたびに新しい次への希望と、寂しさが混在する。きれいさ以上に心を打たれます。サクラの花びらのようなラグビー人生ではありませんでしたが、(今季終了までの)2か月間、花びらが舞い散るように散っていきたい。引き続き、ブルーシャークスの応援をよろしくお願いします」
髙は1980年9月13日生まれ。小学校2年生の時にラグビーを始めた。
大阪ラグビスクール、横浜ラグビースクールと楕円球を追い、桐蔭学園高校へ。帝京大学を経て、トップリーグ元年の2003年シーズンから日本IBMに加わった。
2009年度から2016年度シーズンまで近鉄に所属し、ブルーシャークスでプレーを始めたのは2017年度からだ。
シーズン開幕前には、今季が最後と決めていた。
試合後の記者会見で髙は、「(ラグビーを)何年やったか分からないけど、楽しいラグビー人生でした。現役は今年で終わりますが、これからもラグビーに携わっていきますので、よろしくお願いします」と切り出した。
引退を決断した理由を、「プロとしての矜持を保てなくなった」からと話した。
自分なりの人生観がある。
「プロとしてやってきた中で、責任とプレッシャーを感じながら、自分がラグビーをプレーする意義、意味を見いだしながらプレーしてきました。ただ最近、シンプルにラグビーが楽しいという気持ちが強くなりました」
そこに、「プロとしてどうなんだ?」との疑問が芽生えたという。
「そういう精神状態、体の状態を考えた時に潮時かな、と。ラグビーを楽しむのは大事です。しかし、楽しいだけならクラブチームでもやれる。楽しいという思いが(他を)上回ると、プロ選手としての矜持が保てなくなると決断しました」
ポジション争いに挑む。最高のパフォーマンスを出すための準備も当然している。
どうしたらチームが強くなるか。一体感が出るか。そこも考えてきた。
でも、そこだけを考えるなら「コーチ、スタッフでもいい、となる」。
「自分の中で揺らいではいけないところが揺らいでしまった」と、独特の表現で自分の胸の内を説明した。
一度決断してからは、チームがどれだけ好調でも心変わりすることはなかった。
「これまでも、これが最後の試合になるかもしれない、とキックオフ前に覚悟してやってきたので」
想い出のゲームについて、「あまり過去の試合のことは覚えていない」としながらも、2007年1月14日に駒沢陸上競技場でおこなわれたセコムとの一戦(トップリーグ)が記憶に残っていると言った。
ファイナルスコアは27-24。後半が50分まで続く熱戦で、最後は髙がPGを蹴り込んで決着をつけた。
強風の中での死闘だった。
ブルーシャークスを率いる大隈隆明監督は、近鉄時代からのチームメートだ。同じタイミングで現チームに移籍した。
「髙さんとブルーシャークスに来て、意識の変革が必要だな、と話したことを覚えています。若い選手も多い。トップチームにいる選手のマインドを持とう、と話したりしました。私が先に(現役を)辞めた後も、選手兼コーチとして助けてもらいました。まだ見ていたかった選手。おつかれさまであり、残念。それが正直な感想です」
シャトルズの徳野HCは同い年の仲間の引退に、「切磋琢磨し、ともに戦った仲間という立場でなく、ひとりのラグビー選手、人間としてリスペクトしている」と言った。
「高校時代から対戦し、ユース代表で一緒に戦ったことがあります。彼のやってきたことは、誰にでもできることではない。年齢を理由にすることなくチームの先頭に立って走り続けてきたことは、ブルーシャークスの勢いの要因のひとつだと思います」
髙は、順位決定戦、入替戦が待つ残りのシーズンを、これまで同様全力で過ごし、ブーツを脱ぐ。
「若い選手に背中を見せられるようにしっかりとやり切る」
自然体で、そう話した。