日産スタジアムに強風が吹いた。アンツーカーに敷かれた緑のマットが浮き上がり、得点板も倒れた。
スタッフとともに、率先して会場を直す「鉄人」がいた。日本代表最多98キャップ、スーツ姿の大野均さんである。その自然なふるまいが、大会をより手作り感のあるものにしていた。
3月26日、ヒーローズカップ決勝大会1日目の一場面だ。
大野さんは大会実行委員長を務める。決勝大会では自分らしい言葉で開会あいさつを述べた後、一つ一つのプレーに真剣に目をこらし、選手やコーチたちの声に耳を澄ましていた。東芝ブレイブルーパス東京での仕事の合間を縫い、地区大会にも数回足を運んだという。子どもたちの大会を運営する大人としての責任が、行動ににじんでいた。
小学校5、6年生が参加できるヒーローズカップは2008年に関西で始まった。今回が14回目。最初は2000人だった参加規模は、コロナ禍ながら1万4000人まで膨らんだ。
全国7つの地区大会に約280チームが参加し、そこで勝ち抜いた16チームが決勝大会に出場していた。小学校高学年のミニラグビーは9人制。1日目は4チームずつ4ブロックにわかれて各2試合、2日目は各ブロックの順位ごとに再び4ブロックにわかれて2試合を戦った。
つまりすべてのチームが4試合ずつを戦える方式になっていた。各ブロックの勝者は決めるが、ゲームの機会を均等にする配慮があった。
ヒーローズカップでは子どもたちの主体性を伸ばす取り組みとして以下のルールを定めている。
①ベンチ及び観客席からの指示は一切禁止
②アフターマッチファンクションを行うこと
③キャプテン会議を行うこと
決勝大会1日目を取材して、指示禁止はかなり徹底されていると感じた。ベンチにコーチはいるが、あくまで選手交代やけがなど不測の事態に備えて。大きな声で指示を出すコーチは皆無。あるチームのコーチがグラウンドに近づいただけで、運営スタッフが後ろへ下がるように促す場面も目撃した。
飲食を伴う交歓会が難しいため、ファンクションは試合後に両チームの監督と主将がレフェリーを交えて互いに感想を言い、エールを送る場としていた。大野さんはここに意義を感じているようだった。
「負けて悔しくて泣きながら、それでも、必ず相手にエールを送る。勝ったチームも浮かれない。そういう姿を見て、感銘を受けました」
キャプテン会議は大会前に16チームの主将を集め、大野さんの話を聞いたり、大会の取り組みを説明したりしたという。小学生が運営も含めて大会の当事者であることを理解してもらう取り組みだ。大会コミッショナーの深尾敦さんは「子どもたちが発言し、考える機会を増やすように心がけた」と語った。
ヒーローズカップは元日本代表の林敏之さんが会長を務めるNPO法人ヒーローズが主催する。決勝大会は、2019年ワールドカップ日本大会決勝を開催した神奈川県と横浜市が共催し、スポーツ庁や神奈川県ラグビー協会も後援した。
ただ、その中に日本ラグビー協会の名前はなかった。今回は中山光行チーフラグビーオフィサー(CRO)や原田隆司レフェリーマネジャーら協会幹部が大会を視察していたが、スポーツ庁が後援し、多くのラグビーキッズが参加する大会に距離を置く形をとっている。日本協会は以前から小学校の全国大会開催に賛意を示してこなかった経緯がある。
私も、小学校の全国大会には疑問を持っていた。日本一や優勝という目標があれば、コーチや親の指導や応援に力が入る。選手たちも勝ちたいと思う。大人の過熱が、子どもたちに無理を強いるのではないか。ラグビーの楽しさを感じる時期に、勝負にとらわれ、上を目指すことに夢中になることが果たして正しいのだろうか。そんな思いがあった。
勝利を求めれば、うまい子とそうでない子でスクールが二分される可能性が出てくる。ボールを動かすラグビーより、接点の圧力、ブレークダウンの攻防に特化した練習を積んだ方が勝利に近づける。まだ体ができていない時期にそこにこだわるべきなのか。そんな指摘も聞いていた。また、競技人口や環境の違いがあるとはいえ、イングランドで小学生の全国大会は開かれておらず、地域の大会では選手を全員出すようなルールや様々なポジションを挑戦できる機会が担保されているという。
そんな思いを会場で林さんにぶつけてみた。
優勝チームを決めるという大会方式を変える考えはないのか。そう聞くと、「チャンピオンシップは負けチームを作る仕組みです。それを理解して下さい、とコーチたちには説明している。1チーム以外はみな負けるわけですから、その時に何を伝えるかはコーチの腕次第」と返ってきた。
以前、大会中にコーチがレフェリーに悪態をつくことがあったという。林さんたちは「それは違う。そんな姿を子どもに見せるわけにいかない」と指示禁止のルールを作ったそうだ。「これからも運営でいいアイデアがあれば採り入れていく」。そう力説する。
「僕らはいい場所を作るだけです。皆さんはそれをうまいこと使ってくれたらいい。甲子園や花園があるからスポーツは盛り上がるし、選手たちは目指したいと思う。小学生にそういう場があってもいいじゃないですか。決してトップ選手を作りたいわけではない。このグラウンドで体験をしたことをベースに、人生のヒーローになってほしい。それが、私たちがこの大会をやっている目的です」
今回初優勝した東京・江東ラグビークラブの安田和彦監督は「勝利至上主義」に陥らない一環として、6年生の選手全員が試合に出られるよう考えている。地区大会、決勝大会ともに勝利を追求しつつ、できるだけ多くの選手が試合を経験できるよう交代を使い、全選手が出場機会を得たという。選手層が厚くなればチーム力も上がる。勝利と普及の両立を、不自然には感じていないようだった。
安田監督は「全国大会が悪いとは思いません。結局はコーチである僕らが、どういう取り組みをするかに尽きる」と語った。
全日本柔道連盟が柔道の小学校の全国大会を廃止したニュースは大きな反響を呼んだ。全柔連の方針転換はおおむね「柔道界の英断」と評価されている。
ならば他競技もそれに倣うべきなのか。
ヒーローズカップの現場を取材した私の実感は違った。「全国大会をやるべきではない」とは軽々に思えなくなっている自分がいた。
外から感じていた大会の弊害を運営側やチームは認識し、対策を講じていた。不十分な点はあるかもしれない。日本一という称号がこの時期の子どもたちに必要なのか、と今も悩む。ただ、ヒーローズカップが掲げるルールや理念が指導者や親、選手に「何のためのラグビーをしているのか」を考えさせるきっかけになっている部分はあるはずだと信じたい。
林さんはこうも言っていた。
「チャンピオンシップの大会が違うと思ったら、出なくてもいい。現実にそういうチームも結構あります。色々な考え方があっていい」
日本一をめざすチーム、楽しさを追求するチーム。その中間。それぞれのニーズを受け入れる幅の広さは、競技環境の豊かさを表している。ラグビーをプレーする小学生たちに必要なものとは何なのか。正解はすぐには見つからないが、関わる私たちが考えを深め、議論を重ねていくことも、ラグビーの教育的価値の一つではないだろうか。