ラグビーリパブリック

逆転勝ちへの勢い生む。セブンズの世界的スターは親日家。スコット・カリー[宗像サニックスブルース]は、こんな人。

2022.04.05

試合を重ねるごとにチームにフィット。(撮影/松本かおり)※この記事は、宗像サニックスのHPにすでに掲載されたものを、再編集しました。



 世界のセブンズラグビー・マニアの誰もが知る人だ。

 リーグワン元年に宗像サニックスブルースに加わったスコット・カリーは、その世界で輝く足跡を残し続けてきた。

 今季は第9節までに5試合に出場。最初の3試合は、15人制出場時に出場してきたバックローでのプレー。
 しかし3月20日の九州電力戦では、22番を背に後半26分からBKラインに立った。

 4月3日に本拠地、グローバルアリーナでおこなわれた清水建設江東ブルーシャークス戦では勝利(40-38)に大きく貢献した。
 8番を背にフル出場。積極的に走り回った。前半は9-24と劣勢の展開も、後半9分に自らトライ。逆転勝ちへつながるモメンタムを生んだ。

 目立つプレーはなかったけれど、CTBの位置に入り、幅広くプレーできることを証明した。

 昨夏開催の東京オリンピックでニュージーランド(以下、NZ)チームの共同キャプテンを務め、銀メダルを手にした。

 2010年、セブンズのワールドシリーズ、ドバイ大会で初めてセブンズNZ代表に選出される。それ以来、漆黒のジャージーを着て、50大会以上に出場してきた。

 途中、主将を任され、2018年にはNZセブンズ代表の年間最優秀選手にも選ばれた。
 長い期間第一線で活躍してきた事実から、この人のラグビーと向き合う真摯な姿勢、価値が伝わってくる。

 東京五輪前、大会後の自身の進退について、「揺れ動いている」と自国メディアに話していた。
 その中でブルース入りを決めたのは、もともと日本という国に深い興味を持っていたからだ。

「2016年のリオ五輪のあと、プライベートで日本を旅行しました。優しい人々、カルチャー、素晴らしい景色に長い歴史。食べ物は、何が一番好きか決められないほど、いろんなものが好きです」
 そんなときにブルースから声がかかった。すぐに宗像行きを決めた。

 セブンズ代表時代、現在ブルースの指揮を執るダミアン・カラウナ ヘッドコーチがアシスタントコーチを務めていた。
 その指導法を知っている。また一緒に、同じ目標に向かって行けるのも決断の理由のひとつだった。

「日本のラクビーは、想像していた通り。展開が速く、みんな、すばしっこい。スキルも高いですね」
 セブンズのトップレベルでプレーしてきた自分が、持ち味を発揮できるフィールドだ。実際にリーグワンのピッチに立ってみても、そう感じている。

 NZ・ロトルア生まれ。人口2000人ほどの町、レポロアで育った。その故郷は乳製品で知られる。
 幼い頃は、オールブラックスの万能WTB、ジェフ・ウイルソンに憧れていた。

 レポロア・カレッジに学び、マッセイ大へ進学。
 同大学はパーマストンノースにある。20歳の頃にマナワツ州代表に選ばれると、当時のセブンズ代表指揮官、ゴードン・ティッチェン監督から才能を見出されて人生が変わる。

「セブンズを選んで良かった。自分の人生を豊かにしてくれました。代表チームも、少ない人数で世界中を旅します。一人ひとりとの結びつきが深くなる。そんな日々が楽しかった」

 2度のオリンピックに出場した。オリンピアンの誇りが、一生自身についてまわる。
 しかし、「それはあまり気にしていない」と話す。

「もちろん引退した後は、それがクローズアップされるかもしれませんが、まず、現役の間は目の前のことに全力で取り組んでいきます。それに、もし人から(オリンピアンと)リスペクトを受けたとしても、自分が何者なのか、自分の価値観を失うようなことはしない」

 人との触れ合いが好きだ。ブルースの仲間を「いい奴らばかり」と言う。
 日本語をたくさん覚えたい自分。英語を喋りたい選手たちが周囲にいる。自然と会話が増える。

「大丈夫。これが、いちばん多く使っている日本語かな。いろんなシーンで使えますね。めっちゃ寒い。これも、よく口にします。セブンズは暑いところを転戦していましたから」

 思っていた通り、日本の人たちは優しい。ファンからの応援を受けると、元気が出る。

「できるだけ長く、日本でプレーしたいと、あらためて思っています」
 そのためにも、残りのシーズンを全力で戦い、勝利を重ねたい。
 背番号は何番でもかまわない。

Exit mobile version