ラグビーリパブリック

先輩の涙を見て、芽生えたチーム愛。西田悠人[東京ガス/CTB]

2022.03.31

得意なプレーは、空手仕込みの強烈タックル。(撮影/松本かおり)



 入社4年目、2015年シーズンから4季に渡ってキャプテンを務めた。
 25歳の時だった。

 東京ガスラグビー部では、もっと年齢を重ねてからキャプテンを務めることが多い。
 仕事とラグビーの両立をチーム理念に掲げている。若いうちは、簡単ではない生活サイクルに慣れることが先決だからだ。

 しかし西田悠人は若くしてチームの先頭に立つことを任された(部史上最年少主将)。
 同志社大学でも主将だった。CTBとしてチームに欠かせぬ戦力。
 そんな背景から当時の林雅人ヘッドコーチのもと、大役に就いた。

 最終学年にチームを束ねる学生チームの主将とは違う。
 10歳近く上の選手もいる。大人だ。一人ひとり自己確立していて、それぞれ歩んできた道も違う。職場の環境も。

 それらを理解した上で、先輩たちにも「もっと練習に参加を」と呼びかけた。
「こっちの仕事量を分かっとんのか? と思っている先輩もいたはずです。でも、せっかくプロのコーチに指導してもらっているのだし、結果も残したかった」

 思いを伝えるため、いろんなメンバーと飲みに行き、自分の考えを話したこともある。
「グラウンドの内外でコミュニケーションをとるようにしました。気持ちを伝え、西田が言うなら仕方ないな、と動いてもらえるようになりました」

 キャプテンとしての4シーズンを含め、在籍10年。その期間を「濃かった」と振り返る西田は、2021年度のシーズンを最後に引退すると決めた。
 ラストシーズンも4試合ピッチに立ち、シーズン最後のヤクルト戦でも先輩の長尾岳人とCTBを組んだ。

 引退の理由はいくつかある。
 もともと主将を終えてから2シーズン没頭し、辞めるつもりだった。
「一選手に戻っての1年目、チームは(トップイーストリーグで)優勝しました。学生時代も含めて初めての優勝です。本当に嬉しかった。残り1シーズン、思い切りプレーして楽しみ、やり切るぞ、と」

 しかし、コロナ禍で2020年シーズンは中止になる。
「それで、2021年までやりました。やり切りました。最後の試合が終わった時、スッキリした気持ちになれた」
 尊敬する先輩であり、ミッドフイールドの相棒でもある長尾が引退する。大学でも先輩で、仲の良いLO村上丈祐も。それも決断の理由となった。

 大阪出身。極真空手で小5から中1まで全国優勝。田島中時代は、空手とラグビーに並行して取り組んだ。
 しかし、3年時にキャプテンを務めたことでラグビーの比重が多くなっていった。

 啓光学園に進学。高校1年時こそ花園に出場するも、2年、3年と大阪府予選で敗退。チームスポーツの難しさを知った時期だ。
 ただ3年時には高校日本代表に選ばれる。着実に力を伸ばして同志社大学へ進学した。

 紺×グレーのジャージーを着ても輝いた才能は、名門チームでも主将に推される存在になった。
 将来、トップリーグでプレーする自分の姿を思い浮かべていた。

 それなのに東京ガスでの「仕事もラグビーも」の道を選んだのは、人との出会いからだ。
 高校、大学の先輩にあたる今森甚さん(2021年度BKコーチ/2017年シーズンを最後に引退)が、誘いの声をかけてくれた。
 東京ガスでの仕事のこと、ラグビーのこと、それらを両立させることのやり甲斐。そんな状況で勝った時の喜びの大きさ。
 心に響いた。自分も同じ道を、と決めた。

 それでも入社後、ラグビーに熱中してきた自分には物足りないと感じたこともある。
 みんな、もっと熱く頑張れないかと、じれったかった。
 1年プレーして、トップリーグチームに挑戦しようかな。そんな思いが浮かんだこともある。

「1年目の最終戦に負けて、泣いている先輩がいました。その時、みんな(それぞれの立場で)本気で勝ちたいんだな、と思った。チームを強くしたい。そんな気持ちになりました」

 これからのチームを作っていく選手たちに向け、「文武両道。他の社員から尊敬される存在に。これは部の理念です。それを実行しているから、多くの人たちに応援される。愛されるクラブであり続けてほしいですね」とメッセージを残す。

 引退を機に、「少し休憩したい」と、部から離れる。
 戻ってくる時は、100パーセントのエナジーを蓄え、目標へ向かう後輩たちを全力でサポートする。


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