短い言葉に、12シーズンをどう生きてきたのか詰まっていた。
2010年に入社し、東京ガスラグビー部でプレーしてきた村上丈祐(じようすけ)が2021年度シーズン限りでブレーヤーとしての生活を終え、新シーズンからアシスタントコーチに就く。
同志社大学の主将だった男は、チーム理念にある『仕事とラグビーの両立』が自身の価値観と同じだったから、このチームに加わった。
仲間内ではアニキ。グラウンドではFWの核(LO)で、職場ではリーダー。
後輩たちとの飲み会では財布となってきた。
「仕事とラグビー、どっちも一生懸命やっていないと調子が出なかった」
まもなく36歳。
12年を振り返り、「先輩たちの背中を見ていたお陰で、両方を頑張れているときこそ調子が良い人間になった」と笑う。
仙台育英高校でも主将。東西高校対抗戦のメンバーにも選ばれ、東軍を束ねた。
大学でも先頭に立ち、社会人でもリーダー。
頼られる。周囲を惹きつける人だ。
「俺、こんなやつやで」
まずは自分を知ってもらう。自己開示を生き方の信条とするから人に安心感を与える。
「仕事においても、そうしてきました。そうすることで、振り向いてくれる人たちがいます」
アニキは若手からの相談に対しても、陽気に、親身になって受けてきた。
「少し長く生きています。いい時もあれば、悪い時もあった。そういった幅があるのがいいのでしょう」と話す。
「その人が、どういった社会人生活を望んでいるかにもよりますが」と前置きしながら、ラグビーも仕事もしたいなら東京ガスは最高と、胸を張って言える。
自身も、「仕事もラグビーも一流のところでやりたかった」。
入社初年度のシーズン、チームはトップイーストリーグで、キヤノンに敗れただけの2位(20-38)だった。
キヤノンは、その年の2季後からトップリーグに舞台を移したように、急ピッチで強化を進めていた。
大阪・高槻の出身。進学校、高槻中でラグビーを始め、府の選抜チームに選ばれた。
中高一貫校。そのまま進学する道もあったが、高まったラグビー熱を抑えられなかった。
ラグビー雑誌で仙台育英高校の特進クラスでプレーすることに興味を持つ。単身、東へ向かった。
高校卒業時にはニュージーランドに留学し、見聞を広めた。
帰国後、関西に戻った。
人。感覚。そして、学校のカルチャー。同志社大学ラグビー部のことが大好きだ。
「ラグビーだけでなく、飲んでも負けへんで。そんなところが」
なんとなくエエ感じ。その空気を愛し、「生まれ変わっても同志社に入りたい」と笑う。
今回引退を決めたのは、自分の意思だ。「心も体も、いっぱい、いっぱい。やり切った」と話す。
「試合だけなら呼んで、というわけにはいきませんからね。本当は1年前に辞めようと思いましたが、同い年の長尾岳人(CTB/早大卒)が『やる』と言うので続けました」
それぞれ、FW、BKの最年長。「自分ができることをやって、チームに良い影響をどう与えるか、を考えた」。
ラストシーズンの出場は、10月31日のクリーンファイターズ戦(62-5)だけ。背番号4を付け、80分ピッチに立ち続けた。
自分が先輩たちの背中を見て学んだように、後輩たちも何かを感じてくれたかな。
指導者としての第一歩を踏み出す2022年の春。
「できることの幅を広げていきたい」と、初心にかえる。
「現役にいちばん近い存在として、選手とコーチの間を埋めていきたいですね。これまでお世話になってきた指導者の方々のいいところを合わせ、コーチとしての自分のスタイルを作っていきたいと思います」
頼られる人生は続く。