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多くの愛に囲まれて。ファイアラガ望サムエル[宗像サニックスブルース]は、こんな人。

2022.03.24

FW3列だけに、ボールキャリーも強み。(撮影/松本かおり)※この記事は、宗像サニックスのHPにすでに掲載されたものを、再編集しました。



 ふとももの太さは丸太のよう。推進力ある突進のパワーは、そこで生み出される。

 昨春宗像サニックスブルースに加入したファイアラガ望サムエルは、今季2試合目の九州電力キューデンヴォルテクス戦から5試合続けてピッチに立った(4戦連続1番で先発後、途中出場)いる。

 今季初戦、中国電力レッドレグリオンズに17-15と逆転で辛勝した試合は、スタンドから見つめた。
「プレシーズンマッチとはまったく違う、開幕戦、公式戦独特の空気を感じました」

 しかし自身のデビュー戦には、いつもと変わらぬ気持ちで臨めた。
「その場の雰囲気を楽しみ、フレッシュさを感じてもらえたらいいな、と考えてプレーしました」
 後半11分までピッチに立ち、勝利に貢献した。

 積極的なボールキャリーが目立つ。
 サモア人の父から譲り受けた下半身のたくましさがプレーを支える。もともとバックローだった。ランニングは得意だ。

 同志社大学3年時からフロントローを始めた。
 将来も高いレベルでプレーを続け、さらにその上を目指すのなら、176センチの身長ではバックローで勝負していくのは難しい。
 当時のコーチにそう進言されて転向を決めた。

「プロップになって、スクラムについての考え方が大きく変わりました」
 FW第3列時代は、ボールが動き出したあとの出足、サポートに注力していた。

 しかしいまは、目の前の相手との格闘に勝つ。味方に好球を出す。その勝負を終えてから動き出す。
「(スクラム時の)達成感がバックローの時とは違いますね。辛いことも多いけど、楽しさが分かってきました」

 ブルース加入後、確実に積み上げてきたものがあるから1番を任せられる信頼を得た。
「大学時代といまでは、セットプレーに求められるものの精度も違えば、パワーも違います。それを肌で感じて変化してきました」
 コーチの指導を受け、周囲の先輩たちのプレーを参考にして成長した。

 楕円球との出会いは全国優勝を何度もしている常翔学園高校。中学までは野球少年。友人の誘いを受けて名門ラグビー部に入った。
 周囲にはラグビースクール育ちのチームメートも多かった。

 その中で力を伸ばし、高校3年時には高校日本代表に選出されるまでになった。
「周囲に恵まれました。みんな、いろんなことを教えてくれたし、コーチの方々も、ちょっとしたことで褒めてくれた。ノビノビと、楽しくやれたお陰です」
 弟・義信ダビデ(NO8)も現在同校の2年生だ。

 仲間。
 サムエルの人生の決断において、キーワードとなってきたもののひとつだ。
 愉快で優しかった高校時代のチームメート。大学時代も一生の友を得た。

 ブルースにはトライアウトを経て入団した。
 社員選手として他チームでプレーすることも考えた。両親や友人、コーチに相談し、最終的に宗像でラグビーに没頭することにした。

「大学4年の2月にトライアウトを受けました。そのとき、ここに戻ってきたいなあ、と思いました」
 縁を感じた、とほほえむ。
「温かい人たちが多いんです」

 毎日が楽しい。ここに決めてよかった。
 この生活を長く続けたい。
「まわりに、こんなにいいチームメートがいます。楽しんで、勝って、喜び合えたらいいな、と」
 その積み重ねがチームの浮上につながればいい。目の前の一戦に全力を尽くすことを重ねたい。

 学生生活を名門と呼ばれるチームで過ごした23歳は、チャレンジ精神に充ちている。
「高校時代も、大阪にはもっと強いチームがありました。大学の時の関西リーグだって同じです。だから、挑む気持ちは、これまでも持っていました」と胸の中で燃える炎を言葉にする。

 大阪に比べれば人の少ない、宗像の土地もお気に入りだ。
「おばあちゃんを含め、親戚たちはいま、ニュージーランドに住んでいます。高校時代に半年ほど、あちらの学校に留学もしました(ケルストンボーイズ高/オークランド)。海が近くにあり、のんびりしているところが、ここは同じ。好きです」

 チーム愛。地元愛。そしてラグビー愛。
 サムエルは多くの愛に囲まれて、毎試合で全力を出し切る。


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