横河武蔵野アトラスターズの金澤省太郎(32歳)が引退した。
「自分が大切にしている、『我の力にあらず』という言葉があります。
ラグビー人生として19年間を過ごしましたが、ここまでやり遂げられたのは、家族をはじめ各世代の仲間達、ファンや会社の方々に恵まれ、またご支援いただいたからこそであり、自分1人の力では何も成し遂げていない、という考えです」
この座右の銘は、金澤が社会人になる際に父・広一(ひろいち)氏から教えられた言葉だという。
「今ではその意味が、身に沁みて分かります」
学生時代はBK選手(CTB)だった。甲南中、甲南高でキャプテンを務め、甲南大を経て2013年に横河武蔵野に加入した。
加入早々、即戦力となりレギュラー争いに加わった。当時はCTBとしてプレーしていた。182センチ95キロの恵まれた体型を生かし、その後FW(NO8/FL)に転向した。
金澤は生傷の絶えない選手だった。人一倍、声と身体を張り、目に鬼火を燃やして暴れ回る。特に接点での強さに定評があり、存在感を示した。
ラストシーズンはリーグ戦の全試合にFLとして先発し、ゲームキャプテンを務めた。全盛期にありながら、仕事に専念するためにグラウンドを去る。
在籍9年。ラグビーはまだまだ続けられると自負していた。選手としての矜持を胸に、情熱と体力が続く限り現役にこだわり、あと2年ぐらいは頑張ろうと考えていた矢先のことだった。
昨年(2021年)の末、会社の上司から海外転勤を打診された。
担当は海外営業。社会人になって以来、仕事で海外にチャレンジすることは一つの目標でもあった。思いがけないチャンスの到来だった。想像していたよりもかなり早いタイミングで、正直なところ、戸惑った。
「コロナの関係で出発は遅れるかもしれないが、基本的には4月1日付けという話でした」
会社に返事をする前に、山崎豪ゼネラルマネージャーと藤山慎也ヘッドコーチ(当時)に相談した。
「『ラグビー部にとっては残念だけど』とおっしゃって、ただ僕のことを考えて二人で背中を強く押してくださった。感謝しています」
愛する競技に燻る思いを掻き退けて、掻き退けて、自分の心の奥底を確かめた。
「頭を切り替えて、会社は横河電機なのだから、そこで頑張ることがラグビー部に恩返しできる一番手っ取り早い手段なのかなと考えました。そこはしっかりチャレンジして頑張りたいと思っています。
確かに厳しい決断でしたが、自分のキャリアとしたら、次のステージに上がる千載一遇のチャンスなのかなと思い至って、お受けすることにしました」
ひとしきり引退理由について話した金澤が、ふとグラウンドに目をやった。
見慣れた光景から遠のく、自分の影を追っているのか。つむじ風が去ったあとのように、寂しさだけが残った。
ひと呼吸おいて、背筋を伸ばしてこう続ける。
「一昨年ヘルニアの手術をしました。首も痛めましたが、入替戦でキャプテンを任され、残留を決められた。最低限の責任を果たせたな、と思っています。そこは後悔なく引退することができたと思っています」
苦戦続きの長いシーズンだった。東京ガスとの、しびれるようなディフェンス勝負で1点差の惜敗を喫した試合の直後、円陣の中で、「こんなのなんでもない、なんでもない!」と腹の底から声を響かせ、まばたきもせずにチームメイト一人一人の顔を見つめ、必死に鼓舞する金澤の姿が忘れられない。
「オランダにある、ヨーロッパ拠点のようなところに行きます。最低3年、長ければ5年とか6年いることになるので、ラグビーから一旦は離れますけど。英語も含めてチャレンジですね。
これから戦うステージは変わりますが、謙虚に、そして情熱を持って誠実に取り組んでいきたいと思います」
金澤らしい脚下照顧の心掛けによって、きっと偉業を成し得るだろう。
その背中がグラウンドから消えるとき、「晴れて帰国したらHCになりますか」と尋ねると、すぐに「教える能力はないので」と返した。
「どちらかというと、気持ちとか情熱でやってきたタイプなので、そこまでの余裕はありません」
出国日が迫り、現在は出発準備に追われている。
最後に、「ラストシーズンでは1歳の娘・朱莉(あかり)にプレーする姿を見せることができました。これ以上の幸せはありません。アトラスターズで現役を終えられることを光栄に思います。本当にありがとうございました」ときりっと勇ましい様子で述べ、現役生活の幕を閉じた。