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【学生スポーツ最前線】 都留文科大学ラグビー部の「葛藤」と「感謝」

2022.03.19

試合に臨む都留文科大学。コロナと闘い、新たな楕円球の縁も生まれた(写真提供:都留文科大学ラグビー部)


 大好きな部活から少しずつ、少しずつ気持ちが離れていく。グラウンドにも行けず、仲間にも会えない。オンラインでミーティングもやったが、そもそも大会があるかどうか分からずモチベーションは落ちる一方だ。

「今年は違う」と思っていたのに。こんなはずじゃなかった――2021年秋、都留文科大学ラグビー部でキャプテンを務める梶原顕(かじはら・けん)はやり場のない怒りと戦っていた。

 山梨県都留市にある都留文科大学は教員養成系大学として60余年の歴史を持つ。ラグビー部は1960年代後半に創部された伝統があり、関東の5部リーグで戦う。

 チーム運営は選手主体。自分たちで練習メニューを決め、練習相手を探し、秋の大会を目指す。山梨県側の富士山麓、自然豊かな都留市で楕円球を追いかける家族的なチームだ。

 新型コロナウイルスの世界的流行が始まって2年目の春、21年4月の都留文大ラグビー部は活況だった。キャプテンを務めていた梶原は当時を楽しげに振り返る。

「例年より部員数が多く『今年は違う』という雰囲気でした。新歓(新入生歓迎会)は例年4、50人の新入生を集めて盛大にやるのですが、コロナ対策で3人1組など人数制限をしました。新歓の甲斐あって新入生も入ってくれて、部では最上級生になる3年生だけで20人。今年はイケる、と思いました」

スクラム練習に励む。昇格への思いは強い(写真提供:都留文科大学ラグビー部)

 目標は4部昇格。達成すれば部史上初の快挙だ。しかし梶原キャプテンの猛る想いは、コロナによって挫かれた。

「夏の初めから、コロナ対策で部活の対面活動が禁止になりました」

 恒例の菅平合宿は2年連続の中止になった。長期の対面活動中止が始まると、2年生が大量に辞めてしまった。彼らは入学時からコロナに打ちのめされてきた世代だった。

「2年生はコロナが流行りだした20年からほとんど練習ができておらず、基礎もしっかり教えられていませんでした。練習をしても試合があるか分からず、何のために身体を痛めているのか、となるんです。徐々に人が減っていって、秋には15人ギリギリになりました」

 部活の対面禁止は晩秋まで続いた。部活に入っていないかのような一日が淡々と繰り返されていく。キャプテンの梶原でさえ、ラグビーから気持ちが離れ始めていた。こんなはずじゃなかった。春に感じていた高揚感は跡形もなかった。

夜間に練習をするラグビー部員たち(写真提供:都留文科大学ラグビー部)

 そもそも都留市出身の梶原にとって、都留文大での大学生活は念願だった。

 梶原の祖父と祖母は、都留大で出会って結婚した。みずからも教師への「漠然とした憧れ」から教員養成系大学の都留文大を志し、一浪して掴んだ地元での大学生活、ラグビー部生活、のはずだった。

「ラグビーから気持ちが離れていく感じがしました。まったくボールに触れない、仲間にも会えない。そうなると、どうしても関心が薄れてしまう。それが悲しかったです」

 のちに22年度のキャプテンになる当時2年生の金子飛鳥(かねこ・あすか)も、色褪せていく情熱を眺めることしかできずにいた。

 神奈川県出身の金子は高校時代、ラグビー部を途中で辞めたことを後悔していた。都留文大で覚悟をもって楕円球を手にしたから、同級生が大勢辞めても自分は残った。そんな金子でさえ、気持ちが冷めた。

「団体競技のラグビーは一人じゃ練習しづらいのが実状です。都留市で一人暮らししていますが、近所をランニングするくらいでした。気持ちはだんだん離れていきました」

 大学の対面禁止は10月中旬に明けたが、しかし所属するリーグ戦5部はすでに10月3日に開幕していた。月末の7人制大会への出場を考えたが、大学の出場条件に該当せず。

 ようやく手元にボールが戻ってきた時、都留文大ラグビー部の行く手には何もなかった。あるのは自動的な引退を待つだけの日々だった。

 このまま引退なのか。いや、このままでは終われない。

 せめて、1試合だけでも。

「もう出場できる試合がないと分かった時点で、最後に1試合だけでもやりたいと動き始めました。特に4年生は去年2試合しか試合をしておらず、4年生のためにも『みんなの引退試合』を組もうと考えました」(梶原)

 近隣にラグビー部のある大学がないこともあり、梶原たちはTwitterでの拡散に賭けた。

 リツイート数は130件超。大きな反響だった。

 しかしここでもコロナが障壁となる。他大学のラグビーサークル2チームから練習相手の申し出があったが、その後に調整難航の知らせが続いて断念。大学側と協議したがグラウンドが取れない等のコロナ事由だった。

 もう諦めようか。そんなムードも漂っていたという21年冬だった。

 ラグビーグラウンドを保有する一橋大学から声が掛かった。

 すぐに梶原らは動いた。まずは大学側に許可をもらわなければならない。授業をこなしながら感染対策を練り、会場移動時は数台の車に分乗して窓を開ける等、「文句のつけどころがない感染対策」(梶原)を提示して大学側の実施許可を取り付けた。

 迎えたハレの日は、21年12月19日。

 東京都国立市の一橋大学グラウンドで、梶原キャプテン率いる「第53代」の引退試合、一橋大学戦がおこなわれた。前年度に2試合しか公式戦がなかった4年生も出場し、先制トライを奪うなどした。17-34で負けはしたけれど――

「楽しかったです。よく身体も張れました」(梶原)

 アタックの要であるナンバーエイトとして、梶原主将はラストマッチを駆けた。

「一橋大学さんには本当に感謝です。試合では短い練習期間ながら『よくここまでできた』という内容でした」(金子)

 フルバックとして出場した翌年度キャプテンの金子は、感謝を胸にプレーした。
 
 試合後、梶原は一橋大のチーム幹部と言葉を交わした。

「当たり前だと思っていた試合は、当たり前ではありませんでした。いろんな人の影の努力、協力があって引退試合を実施することができました。試合後に一橋大の幹部の方と話しました。人生で経験したことがないくらいの感謝の気持ちが溢れてきて、涙が出ました」

 本当にありがとう――。コロナには打ちのめされてばかりだったが、あがき続けたら、たくさんの温かい善意に出会えた。仲間と共にひとつの試合を実現させた先には、感謝に胸を震わせる自分がいた。

 一橋大は22年度も都留文大との練習試合を組んでくれるという。コロナと闘い、新たな楕円球の縁が生まれた。

「新しいつながりを後輩に残してあげられました」

 教員を目指して就職活動を始める梶原は、少なくない成果を残してラグビー部を後にした。

 見事に引退試合を実施できた都留文大ラグビー部だが、物語はハッピーエンドでは終わらない。

 新チームは2月中旬時点で練習が「5回くらい」(金子新主将)しか実施できていない。プレイヤーは5人で、マネージャーは2人。都留文大のアットホームな雰囲気を分かってほしいが、恒例の新入生歓迎会ができるかどうかは不透明。コロナとの闘いは現在進行中だ。

一橋大学との試合後、笑顔を見せた部員たち(写真提供:都留文科大学ラグビー部)

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