激励金には短文がついていた。赤字は見慣れた右上がり。少しゆがむ。
<祝 祈健闘 全国の皆さんに伏見工の名を思い出してもらえる!>
筆は山口良治。「泣き虫先生」は今年2月、79歳になった。これまで2回、脳梗塞に見舞われた。特製の太い杖を手放せない。
その山口が半世紀ほど前に礎(いしずえ)を築いたチームは今、京都工学院に名前を変えた。そして、その深紅のジャージーが6年ぶりに全国舞台に帰って来る。今月25日から埼玉・熊谷で開幕する23回目の選抜大会に出場する。
工学院にとって初めて、伏見工から数えれば8回目の選抜。前回の17回大会は8強敗退。東京に28−33だった。最後の冬の全国大会はその3か月ほど前。95回大会は優勝する東海大仰星に5−41。3回戦だった。大会出場回数は20を刻む。
主将の石田一休は新3年生。外側のCTBとして突破役を担う。その声は弾む。
「出場はうれしいです。OBや関係者のみなさんから、『おめでとう』と言ってもらえました。大阪桐蔭の分まで上を目指します」
選抜の予選会となる近畿大会では、光泉カトリックに53−21、大阪桐蔭には24−24と引き分ける。抽選により出場権を手にした。
一休という名は、その禅師がそうであるように、「とんちが効いた人に」という思いと第一子で9月9日生まれという語呂合わせが重なっている。武器は快足。175センチ、78キロの体で50メートルを5秒9で走り切る。
「自分より内にいる人たちはボールを持って自由に動きます。僕はそこにまっすぐに寄って、タテに仕掛けるイメージです」
SO吉田雅、内側のCTB富山泰成に組み立てを任せる。
その攻撃を生かすためのチームの生命線をOB監督の大島淳史は定める。
「ブレイクダウンとディフェンスです。その2つがしっかりしていれば相手の能力が高くても、体が大きくても大崩れしません」
大島は39歳。FL出身らしく、体をぶつける部分に重きを置く。日体大を卒業後、中学教員を経て、母校に戻る。3年前の4月、コーチから監督に昇格した。
「練習は基本的に相手をつけてやります。強度や激しさや判断にこだわっています」
ボールの争奪戦であるブレイクダウンでは相手が立っていればファイト。かぶさっていれば胴体に手を回し、ともに横に転がり排除する。タックルはチョップを繰り返す。手のひらを上に広げて入った方が、両手をしっかり締められる。防御は個人からチームに広げ、2時間ほどの練習全てを費やすこともある。
石田は成長を感じている。
「試合で相手からボールを奪うことも多くなってきたと思います」
競技を始めたのは中1。通学する小栗栖(おぐりす)ではなく、工学院の下部組織ともいえる伏見クラブのジュニアチームだった。運営の中心にいる坪井一剛もまた伏見工のOBである。石田は小学校でタグラグビーを経験。コンタクトが加わっても戸惑いはなかった。
工学院に進んだ理由を語る。
「ここ数年、京都成章に負けています。そのリベンジを果たそうと思いました」
冬の全国では95回大会を最後に6連続で青黄のジャージーに先んじられている。
その工学院の優勝回数は4。歴代6位になる。創部は1960年。最初の全国制覇は60回大会(1980年度)。平尾誠二を主将に決勝で大阪工大高(現・常翔学園)を7−3で破った。山口は就任6年目で日本一監督になる。その軌跡はテレビドラマや映画の『スクール★ウオーズ』のモチーフになった。
坪井は2回目、大島は3回目の優勝時の主将である。NO8だった坪井は72回、大島は80回。選抜大会でも1度、頂点を極めた。15年前の8回大会では決勝で桐蔭学園を17−12で降している。
その復活に向け、昨年、社会科教員でもあるコーチが加わった。細川明彦。伏見工のラグビー部から初めて早稲田に進んだ。現役時代はSO。同期でレギュラーだった曽我部佳憲に挑んだ。曽我部は卒業後、ヤマハ発動機(現・静岡)に入った。工学院の現場はコーチの髙橋健と合わせ3人体制になる。
2歳上の大島の評価は高い。
「いいですね。彼は努力型のSOですから」
頑張ることを知っていて、それを部員たちに説くことができる。高校生にはうってつけ。石田も話す。
「対戦相手のバックスの特徴を分析して、教えてくれます」
赤黒っぽさは今も残る。工学院には日体大の根性と早稲田の理論が溶け合う。
6年ぶりの全国大会に、周囲も盛り上がりを見せる。最寄りのJR稲荷駅や京阪龍谷大前深草駅近くのクリーニング屋などにはポスターが貼られている。「祝 全国選抜大会出場」の文字と選手の写真が躍る。
初戦は25日。朝明(あさけ=三重)と戦う。勝てば翌日、大津緑洋(山口)と流経大柏(千葉)の勝者と対戦する。連勝すれば8強入り。山口は大島にもらしたという。
「ベスト8までいけば、有観客になるかもしれない。そうなれば応援に行きたい」
京都から東京を経由して熊谷まで新幹線でも3時間以上かかる。体にしびれがある山口は無理を押してでも、孫のような選手たちの晴れ姿をその目で見たい。
工学院の黒の短パンの左すそ後ろには、「信は力なり」と金糸で縫い付けられている。山口が日本代表のFL時代、監督だった大西鐵之祐に示された言葉である。今やチームスローガンになった。部員数は女子マネ3人を含め50人。お互いがお互いを信じ、6年ぶりの全国舞台でその健在ぶりを知らしめたい。