ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】大阪外語の末裔たち。

2022.03.11

古くは大阪外語、そして大阪外国語大の流れを引くラグビーマン。左から、大阪大外国語学部で5回生4年生になる中島希沙良さん、6回生4年生になる河井和哉さん、OBで大阪大コーチの池田誠悟さん



 小松節夫は天理のラグビーを初の学生日本一に導いた。名監督の系譜に連なるその59歳は2度、話したことがある。
「1日だけの定期戦なんていうのもいいと思う。大変お世話になったから」
 恩義が向かう先は大阪外国語学校である。

 小松の大先輩たちは通称「大阪外語」に鍛えられた。
<天理外語のラグビー部が誕生して、その最初の対外試合が、ラグビーでの先輩にあたる、わが大阪外語の「胸を借りて」、行われた。1926年2月11日はいわば天理大ラグビー部の誕生日である>
 昨年11月に発刊された大阪外語の部史にそのあたりは詳しい。天理の大学は外国語学校をその祖にしている。

 官立(国立)である大阪外語の創立は1921年(大正10)。創部は翌年だ。同じ外語の誼(よしみ)から天理の街に遠征。旧制中学を6−0、外国語学校を15−0と連破した。

<満場の期待を集めたる天理軍>
 書き込みが残る。のちに高校と大学になる天理の創部はともに遠征前年。外語2校は戦後の1949年、新制大学の天理と大阪外国語に変わった。その定期戦は中断こそあったものの1960年まで続けられた。ここで途切れたのは翌年、関西の大学ラグビーがリーグ戦化され、天理は一部のA、大阪外国語はCに回り、力の差がついたためだと思われる。

 天理の大学がなぜ外語から始まったのかを小松は端的に語る。
「布教のためやね」
 天理教は江戸末期に成立した。この教派神道は、「陽気ぐらし」を芯に、「感謝、慎み、たすけあい」をスローガンにする。その教義を海外に広めるための語学だった。今では海外80か国、信者は200万人超えとされている。

 小松は昔を大切にする。現在は過去の積み重ねということを知っている。大阪外語の助力があったからこそ、2季前の57回大学選手権における初の頂点がある。最多16回優勝の早稲田に55−28。その恩返しの思いが、「1日だけの定期戦」という言葉になった。

 その伝統ある大阪外語はすでにない。

 正しくは「統合」された。大阪外国語大は2007年、大阪大に吸収される。外国語学部となった。その後も、ラグビー部は体育会と外国語学部の2つが存在したが、昨年4月、体育会に合流した。大阪外語からの歴史はOB会が編纂した、『大阪外国語大学・大阪大学外国部学部ラグビー部 部史』に残る。チームが存在すれば今年、創部100周年だった。

「グラウンドが使えなくなったこと。部員が4人になってしまったことが要因です」
 池田誠悟は合流理由を話す。OBであり、外国語学部ラグビー部の最後の監督である。学部のあった箕面(みのお)のキャンパスが閉鎖され、千里中央にその機能は集約された。活動場所は主に吹田(すいた)のキャンパスにある人工芝グラウンドに移った。



 池田は46歳。在学中はスクラムハーフ。ハンガリー語を専攻した。三洋電機やそれを受け継いだパナソニックのラグビー部では通訳や普及、主務として11年間在籍した。現在はパナソニックに勤務しながら、週末、大阪大のコーチとして活動している。

「僕らが現役の頃、男女の比率は2対8でした。男子が少ないからみんな仲良くなるし、初心者も歓迎しました。OBさんたちも仲がいいですね」
 部はこぢんまりとした男子校の感覚だった。大阪外語の卒業生では小説家の陳舜臣と司馬遼太郎がいる。この2人は陳が一学年上で、専攻言語も印度と蒙古と違ったが、終生付き合いを続けた。

 河井和哉は笑顔を浮かべる。
「ノリで入部しました」
 外国語学部ラグビー部の最後の主将は、広島の高校、安古市(やすふるいち)ではバスケットボールをした。転部理由を話す。
「部の雰囲気がすごくよくて、ごはんもごちそうになって、胴上げもされました」
 チームではセンターを任された。

 中島希沙良(なかしま・きさら)は大阪大の一員として戦った。ポジションはロック。岐阜の高校、岐山(ぎざん)では体操部だった。天理との歴史はうっすらと知っていた。
「部室の整理をしていたら、キャンパスの設計図面なんかと一緒に、歴史を書いた資料が出て来ました。へーって思いました」

 外国部学部の学年の数え方は面白い。河井は6回生の4年生。中島は5回生の4年生になる。回生は在学年数。海外留学や休学が当たり前なので、こういう数えになる。

 フランス語専攻の河井は昨年一年、現地に留学した。先月帰国。就職活動を始める。


 ドイツ語専攻の中島は今月下旬、現地に旅立つ。河井と同じ1年の留学である。

 語学とともにあったラグビーは形を変える。大阪大はその伝統ごと受け入れる。東京外国語大との定期戦を受け継いだ。昨年12月、東上。初めて大阪大として戦い、54−14で勝利する。非公式を含め77回の通算成績は36勝38敗3分となった。

 池田はほほ笑んだ。
「学生たちが外語のラグビーを受け入れてくれました。そのよろこびがあります」
 定期戦のジャージーは大阪大の紺×黒の段柄ではなく、外国語学部のエンジを着用。その部歌を覚え、歌ってくれた。

 池田は新チームの目標を口にする。
「チーム一丸となってBリーグに上がりたいです。外語を知るメンバーが残っている中でそれを成し遂げたい」
 昨年、大阪大は12校編成のCリーグで優勝した。入替戦では大阪経済大に15−15。「同点の場合は上位リーグ所属を勝者」とする規約により、昇格はできなかった。

 外語の魂とともに…。今年こそBリーグの壁を打ち破りたい。