ラグビーリパブリック

「そろそろラグビーの時間だぞ」。その声に送り出された11シーズン。佐藤宏哉[東京ガス/WTB・FB]

2022.02.11

高校時代は U17、U18の東北代表としても活躍した。173センチ、86キロ。(撮影/松本かおり)



 本当に強い人は優しい。威張らない。
 最後まで、数多く刻んできたトライのことをひけらかすこともなかった。

 佐藤宏哉(ひろや)が29歳で引退を決めた。2021年度シーズンをトップイーストリーグAグループで戦った東京ガスラグビー部で11季プレーした。
 WTBとして活躍してきた。

 福島・平工業の出身。先輩たちの存在を通して、「高いレベルのラグビーと仕事の両方をやれる生活がある」と知り、高校を卒業して上京した。
 5歳のときに友だちに誘われて勿来ラグビースクールに入った。24年間も楕円球が傍にあった。

 引退を決めたのは、ケガが増え、自分のイメージするパフォーマンスができなくなってきたからだ。
「タックルを受けたときに自立できていたところで、倒れてしまうようになりました」
「チームに貢献できなくなってきたので」と身を引いた。

 トライを量産するタイプではない。自身のプレーを、そう話す。
「ディフェンスのときには、外からの声で(内側を)コントロールしたりしました。ポテンシャルが高い方ではないので、誰でもできるところを意識してやってきました」

 11シーズンも仕事とラグビーを両立させてきた。
 両方100パーセントで取り組むのだ。簡単なことではないだろう。
 しかし、「みんながやってきたこと」と言う。

「同じことをしている仲間が周りにいて、同じことをしてきた先輩方がスタッフで携わってくれています。誰もできなかったことをやっているわけではありません。みんながやってきたこと、(東京ガスの)スタンダードをやっているだけです」

 仕事を終え、グラウンドに向かうときの日常がいい。席を離れる合図は、職場の先輩の声が多かった。
「ラグビーの時間だろ、行ってこい。そう声をかけてくださるんです」
 定時まで仕事をやり切ろうと思う自分に、いつも優しさが届いた。
「定時を過ぎると気にかけてくれる職場の先輩方がいたのは、ここまでやってこられたひとつの要因でした」

「社会人として仕事をさせていただき、ラグビーもさせていただける貴重な環境がありました。そんな生活は、この先にはもうできません」
 感謝の気持ちしかない。
 ラグビー愛好家にとって幸せな環境だった。

 大事な試合で活躍する方でした。
 チーム広報のそんな言葉には照れるだけだ。
 長いラグビー人生を振り返り、「高校3年の時、花園予選の県大会決勝で(磐城高校に)負けたのは悔しかった」と話す。

 チームマン。喜びの記憶は仲間とのシーンを思い出す。
 自身のトライは、「いい状況でパスをもらうことが多かった」と言うだけ。
 それより、東京ガスが東京ガスらしく戦った試合が忘れられない。

 レギュラーとしてピッチに立つことが多かったのは、3シーズンほどだけだ。しかし、スタンドから見つめた試合にも充実を感じていた。

「なかなか試合に出られなかった若い時代、先輩たちが、前評判では不利な中で、自分たちが意図したゲームをやる試合を何度も見ました。仕事をしながらでもこんなパフォーマンスができるんだと、チームを誇りに感じました」

 普段は穏やかな人が試合になるとファイターに。ラグビーの魅力のひとつだ。
 前出の若き広報マンは、ケガ明けでグラウンドに出た時、佐藤が駆け寄ってきてくれたことを忘れない。泥くさいプレースタイルも好きだった。
 責任感と仲間思いが行動にあらわれる人だった。

 引退の決意を妻に伝えると、「悔いが残っているなら続けていいよ」と言われた。
「ない、と言いました。あのときああすればよかった、ということはありますが、後悔とは違います」
 走り切った。やり切った。

 これからは「選手だった時、スタッフの方たちにいろいろしていただきました。同じように現役たちのことを支えたい」と、チームのサポートにまわる。
 そして、「家事、育児は妻に任せっぱなしだったので家族との時間も増やしたい」と話す。

「自分が好きなことをやってくれれば、それでいい」と言うけれど、2歳10か月の息子もラグビーをやるかな。
「ラグビーは、あれだけ体をぶつけ合うのですから、喧嘩になりそうなシーンもある。でも、最後は握手をして終わる。そんな人間に育ててくれるスポーツです」

 息子が楕円球を持って走り出してくれたらどんな気持ちになるだろう。
 家の中にはラグビーボールが転がっている。サッカーボールも。
 そんなところが、この人らしい。

Exit mobile version