最後に間に合った。身体を張った。敗戦後は会見場に呼ばれ、少し、顔をゆがめた。
着席の動作と同時に苦悶の顔つき。そのあたりに、この数週間のタフな道のりをうかがわせる。
「相手うんぬんではなく、自分たちにフォーカスして試合に臨みました」
東海大ラグビー部4年の丸山凜太朗は、1月2日、大学選手権の準決勝に12番で先発した。
1年時から司令塔のSO、今季はインサイドCTBで主力を張った攻撃の軸。秋の関東大学リーグ戦の期間中に肉離れを負っていた。
前年12月26日の選手権準々決勝でカムバックの予定も、練習に戻るやけがを再発。木村季由監督いわく「選手権(出場)は難しい状況」と見られる時期もあったが、治療が奏功して準決勝に戻ってこられたのだ。
「治りかけた時、再発して…。『無理から』なんですけど、いろんな人の協力や支えがあって。感謝しています」
3-21とリードされた前半から、攻めるスペースがあるのを認識していた。後半開始早々に10-21と迫り、続く4分には妙技で魅する。
自陣からの味方のビッグゲインを受け、敵陣22メートルエリアで深めに位置取り。パスを受けるや、左大外へキックパスを蹴り上げる。追撃のトライを演出し、直後のゴールキックも自ら決めた。17-21。
続く14分には、チーム総出で相手の反則を誘う。敵陣ゴール前で防御を攻略。24-21と勝ち越した。終盤の蹴り合いに苦しみ24-39と敗れたものの、丸山は後半33分の交替まで愚直に身体を張った。
そういえば豊田真人コーチには、こう褒められていた。
「俗に言うファンタジスタ系の10番(SO)って、コンタクトができなかったりしますが、あの子は、身体、張りますからね」
3年時は控えに回り、不完全燃焼の感を残した。最終学年になると、豊田コーチとリーダー陣による定期ミーティングに参加。戦術や練習方法の策定に携わった。枢軸と化した。
豊田は、丸山の競技への愛情と執念、何より周囲への影響力に着目していた。「凜太朗が何を言っても正解になる。彼がネガティブなことを言えば(組織全体が)そうなるし、ポジティブな言葉を使えばそれがチームに伝染する」と見て、輪から外さなかったのだ。
9月は公式戦期間ながら、練習強度を落とさなかった。「身体、やばいっす」と漏らす丸山に豊田は「(もともと)わかっていたでしょう」と話したそう。集団を前向きに引っ張る、本当の意味での中心選手であることを求めた。
「彼は本当にラグビーに対してまじめで。それが勘違いされるというか、もったいないところがあった。ミーティングでは(丸山が)ラグビーに真摯なところを周りに理解してもらった。凜太朗には、『こういう(チームに求められるような)話をお前がしないとダメなんだよ』と言うこともありました」
時を経るごとに、本人も「チームにコミットする」と強調するようになった。豊田はこう笑った。
「去年の4年生が(今季の丸山を)見たら、びっくりしますよ」
その延長にあったのが、最後のゲームの奮闘ぶりだったわけだ。求めていた初の日本一を逃した直後、丸山は学生生活を「いま振り返れば短かった、内容の濃い4年間だったと思います」と総括した。