新天地での初戦は、いつまでも記憶に残るものだ。
仲間の信頼を得られるか。ファンに覚えてもらえるだろうか。あらためて、自分が何者であるかを示す機会。第一歩の持つ意味は大きい。
2月5日、リーグワンのディビジョン2、三菱重工相模原ダイナボアーズ×釜石シーウェイブス(相模原ギオンスタジアム)がおこなわれた。
10トライを奪ったダイナボアーズが68-14で大勝する。同チームは開幕から3連勝と好調だ。
その試合でFL佐藤弘樹(さとう・こうき)がダイナボアーズで初めての公式戦を経験した。
後半19分、先発のサム・チョンキットに代わってピッチに立った。残り20分強の時間を楽しんだ。
54-14と大きくリードしている状況での登場だったから、戦況に大きな影響を与えるプレーはなかった。
しかし、しっかり働いた。後半66分過ぎだった。味方の蹴ったハイパントを相手がキャッチできず、ボールがこぼれる。
それに飛び込んで確保したのが佐藤だった。
再獲得からBKが右アウトサイドに展開。チャンスは広がった。
最後は好調のWTB、ベン・ポルドリッジが巧みなランニングを見せてトライ。
佐藤は「ボールが見えた瞬間に飛び込んでいました」と振り返る。
「点差はありましたが、行くぞ、と言われたときには緊張しました」
キックチャージもした。「20分間でできることはやったつもりです」。
昨季まで清水建設ブルーシャークスに所属した。
3季プレーし、ラストイヤーはチームのシーズンMVPに選ばれる。縁あってダイナボアーズから声がかかり、心機一転プロとして勝負する人生を選択した。
青森北高校出身。2年時、3年時と花園も経験している。しかし、強豪大学からは声がかからなかった。
兄弟も多いため家族に負担をかけられないと、経済的負担の少ない札幌大に学び、プレーを続けた。
『かつや』などでアルバイトをした大学時代。ラグビー活動への熱を4年間失わなかった。
元近鉄・袋井隆史監督の熱心な指導も受け、力を伸ばす。4年時には東京で実施されたトップリーグの合同トライアウトにも参加した。
そこでのアピールが届き、清水建設入団に漕ぎ着けた。
サラリーマン生活に安住せず勝負の道に生きる決断をしたのは、自分の可能性に懸けたい気持ちが大きくなったからだ。
トップレベルでプレーしている者は、他に誰もいない大学からの挑戦。
「自分がどこまでやれるのか知りたい」
それは個人的な思いでは終わらない。周囲や多くの人を勇気づけることにもなるだろう。
プロ転向を決断する際、前チームの監督も両親も「勝負してみろ。こちらも楽しみ」と背中を押してくれた。
同じような境遇の地方のラグビーマンの励みにもなる。
それらも佐藤を走らせるエナジーとなる。
179センチ、95キロ。外国出身選手も含むライバルも多いバックローの中では小柄だ。ポジション争いは激しい。
その競争を勝ち抜くには、強みである運動量の多さとワークレートの高さをもっと伸ばし、ブレイクダウンワークなどで信頼を得るしかない。
元オールブラックスや国内トップレベルを経験してきた選手たちに囲まれた日々は、学びの連続でもある。
自身の持ち味と周囲からの刺激を融合させ、成長につなげるつもりだ。
昨年12月のプレシーズンマッチで左膝を痛めるも、地道にリハビリを続けて復帰の日を迎えた。それも負けじ魂と意欲の結果だ。
「今回は出場機会をもらえましたが、この先どうなるかは自分次第。練習からアピールし、結果を残していきたいと思っています」
不安より、求めていた刺激的な日々に身を置けていることに充実を感じている。
この夏には27歳。青森の人間の粘り強さを見ていてくれ。