2695日(7年138日)ぶりだった。
小澤大が所属するトヨタヴェルブリッツのFBとしてピッチに立った。
1月16日に味の素スタジアムでおこなわれた東京サンゴリアス戦。ヴェルブリッツにとってリーグワン初戦となったこの試合の後半34分、FBウィリアム・トゥポウに代わって背番号23が登場した。
好調サンゴリアスに圧倒され、8-36(最終的には8-50)と大きくリードされる展開の中での出場。プレー時間もわずかしか残っていなかったが、小澤は「自分のやれることはやった」と振り返る。
国内最高峰リーグでのプレーは2014年8月30日のサントリー戦以来だった(WTBで先発)。
当時25歳だった男は32歳に。チームの日本出身選手の中で最年長となった。
セブンズ日本代表として46キャップを持つ。7人制ラグビーのスペシャリストとして長く活動してきた。
流経大在学中に初めてセブンズ代表に招集される。初キャップを得たのは2013年8月にマレーシアでおこなわれたアジアセブンズシリーズだった。
2016年のリオ五輪メンバーからは外れた。しかし、その後も同代表のジャージーを着て世界と戦った。
ワールドラグビー・セブンズシリーズの2016-2017シーズン、ラスベガス大会からは主将も務めた。
2018年の4月からは専任選手契約となり、生活拠点を東京に移した。東京オリンピック2020のメンバーからは漏れるも、強化と調整を続けるチームを大会直前まで支えた。
短い時間の中でも自身の力を出した1月16日の復帰戦。セブンズ代表で培ってきたものも生きた。
「セブンズではハイボールへの対応はとても重要です。ハイパントキャッチで、やってきたことを出せたと思います。自分の強みであるワークレートの高さも出せたと思います」
「もう少し出たかった」と話す。
東京オリンピック終了後の8月にヴェルブリッツに合流した。
その後、ケガやそこからの復帰期間などを経てプレシーズンマッチに出場(12月11日/東京サンゴリアス戦)。その試合も10分程度のプレータイムだったが、それだけで久々の15人制試合に対応できたのは積み上げてきた経験のお陰だ。
リーグワンでのリザーブ入りを告げられたとき、「びっくりしましたが、7年ぶりのことにワクワクしました」という。
準備期間にも刺激を受けた。チームのシステムをあらためて頭と体に叩き込んだ。すでにでき上がっているチームの中に入り込むのは簡単ではない。必死に取り組んだ。
「新人の気分でした」
セブンズ時代もヴェルブリッツのグラウンドで練習することはあった。しかし、代表から渡されたメニューに取り組むため別行動。だから、「顔は知っていても、深いところまでは理解できていない若手もたくさんいる状況でした」と話す。
チームメートとのコミュニケーションを密にすることも含め、「新しいことを吸収しているところ」と充実している。
32歳になった小澤を突き動かしているのは感謝の気持ちだ。
「7年以上セブンズに専念できたこと。いま15人制に復帰できていること。どちらも、会社、チームの理解がないとできなかったことです。感謝に応えるにはオリンピックに出ることでしたが、それは叶わなかった。だからいまは、15人制でプレーして恩返しをしたい」
初戦ではできなかったが、「勝利に貢献したい」と話す。
セブンズで得た財産は少なくない。
スペースを見つけ、そこに仕掛ける感覚。ディフェンスでは、15人制より大きなスペースを守らなければいけなかったから、対応力、防御力は磨かれた。
主将経験も大きい。
チームはコアチームの昇降格を繰り返した。そんな難しい状況下で仲間たちとコミュニケーションをとり、チームをまとめた。
広いピッチの中で7人が意思疎通をとりながら攻防を繰り返す競技特性もあり、声で指示を出すことも自然とやれる。
プレーヤーとして成長してチームに戻ってきたから出場機会を得ている。
それはセブンズの評価を高めることにもつながるから嬉しい。
今季、横浜キヤノンイーグルスの松井千士やシャイニングアークス東京ベイ浦安の羽野一志、クボタスピアーズ船橋・東京ベイの合谷和弘など、セブンズ代表経験者が出場メンバーに選ばれることは少なくない。世界と戦う中で高めたものがそれぞれのチームで認められている。
東京オリンピックで男女代表の成績が振るわず、セブンズへ向けられる目、存在価値が以前より低下していることを感じる。
自分自身の活躍、セブンズ仲間の奮闘は、その空気を払拭することにもなる。
「そういう気持ちは、もちろんあります。セブンズ、好きですから。そうでなければ、こんなに長くやれませんでした」
ヴェルブリッツのFBには南アフリカ代表のウィリー・ルルーをはじめ好選手が並ぶ。
その中でこれからも出場機会を得るのは簡単ではない。しかし、競争の中でさらに成長できると思っている。未来を楽しみに感じている自分がいる。
「まず、目の前のことに集中して、チームに貢献したい。そして、その先に、セブンズでまだやれるチャンスがあって、チームの判断もありますが、また次の五輪を目指せるなら、それもいいですね」
約7年離れていても、チーム愛は変わらない。五輪への夢が叶わなくともセブンズ愛は変わらない。
大観衆の香港でも泥だらけのスリランカ、ヨーロッパ、南米でも、同じように献身的にプレーしてきた。
小澤大の魅力は、そこに詰まっている。