外務省・駐英参事官としての任務中にイラクで凶弾に倒れた奥克彦氏を偲び、2005年より12月上旬前後におこなわれる『奥 記念杯』。氏が生前プレーしていたロンドン・ジャパニーズRFCと、外務省の研修生時代に留学したオックスフォード大に、ライバルのケンブリッジ大のOBを加えたメンバーを中心としたチーム、キュー・オケージョナルズとの間でおこなわれている。2021年は、この2チームに奥氏が所属していたハートフォートカレッジ、オ大ウィペッツ(全大学選抜チームの3軍)を加えた4チームで、11月27日に同大学のイフィーロードのグラウンドでおこなわれた。ロンドン・ジャパニーズは、キュー・オケージョナルズに28-31と健闘したが、ウィペッツに7-17で敗れ4位。優勝チームはキュー・オケージョナルズとなった。
主催者は同大学のラグビー部を通じて奥氏と熱い友情を築き、開催の指揮を執るレジ・クラーク氏。今回は毎年おこなわれているこの記念杯に、特別な式典を合わせての開催を決めた。
2017年、日英外交150周年を記念して、当時の安倍晋三首相と英国のテリーザ・メイ首相の間で両国の文化交流事業、『桜プロジェクト』が立ち上げられた。2020年から21年にかけ、日本政府より贈呈された6000本以上の桜の木を国内に植えるというプロジェクトで、そのうちの4本がこの日、イフィーロードのクラブハウスの庭に植えられた。
桜の植樹式は、在英日本大使館から出席された林肇大使、クラーク氏に、外務省から留学生として同大学のMBA課程に留学中の大藤勇太さんも加えておこなわれた。兵庫出身で5歳でラグビーを始めた大藤さんはその後の学生生活を楕円球と共に過ごし、この日はウィペッツのキャプテンとして試合に出場した。
「外交官として、特にラグビーを通じて日英の友情の架け橋となったカツヒコを記念して、このグラウンドに桜の木を植えるのは、正にこのプロジェクトの意図そのもの」と語るクラーク氏。自身もこれまでラグビーを中心に日本と多くの友情を築いており、自らこの桜プロジェクトにオ大を薦め、この日の植樹式となった。また、外交官として奥氏と同じルートを辿り留学先のオ大でラグビーをプレーする大藤さんを「第二のカツヒコとしての活躍を期待している」、と持ち上げた。大藤さんも「自分は日本という国に誇りを持っており、この国の素晴らしさを世界の人たちにもっと知ってもらいたい」と熱く応えた。
また、クラーク氏の日本ラグビーとの友情と言えば、故・平尾誠二氏がロンドンに1985、6年に語学留学に訪れていた際、当地での世話役を務めたという縁もある。住むところと語学学校だけでなく、自らもプレーしていた名門クラブ、リッチモンドにも平尾氏を紹介した。当時イングランドでは全く知られていなかった平尾氏だが、あっという間に実力で1軍まで昇り詰め、シーズンを通してSH以外の全てのBKのポジションで1軍の試合に出場していたという。
こうした縁もあり、クラーク氏は桜プロジェクトとリッチモンドとの仲もとりもち、クラブに7本の桜が贈られることになり、植樹式が12月16日におこなわれた。こちらには在英日本大使館から伊藤毅公使、昨シーズン早稲田大学で主将(NO8)を務め、現在イギリスの大学院に留学中の丸尾崇真さんも参加。丸尾さんは、オ大1軍チームが強い相手との試合経験を積むために結成され、かつては在英中の他国の代表選手もプレーしたスタンリークラブに招待されている。英国滞在中の平尾氏もこのチームでのプレー経験があり、ここにもかつてラグビーを通じて英国との友情を築いた偉人の足跡を辿る、現在の日本人の若者の姿があった。
こうした背景も併せて万事をアレンジするクラーク氏。かつてのチームメイトからは「試合中のSOとしてのゲームマネジメントよりも、グラウンド外での社交のアレンジの方が全然うまい」と冗談を言われることも。ちなみに、クラーク氏が平尾氏のロンドンでの世話役を買った背景には、日本帰国後の平尾氏のチーム入りを狙う神戸製鋼が、クラーク氏にその役割を頼んでいたという話があるそうだ。オ大卒業後の1980年から83年まで神戸製鋼でSOとしてプレーしたクラーク氏は、英国帰国後も日本の仲間たちと連絡をとっており、こうした縁から平尾氏のリッチモンド入りが実現した。時は流れ、2021年の冬。リッチモンドのクラブハウスの敷地には、『ヒラオ・メモリアル・ツリー』と題された7本の桜の木が植樹された。
生前の平尾氏、奥氏をよく知るクラーク氏は、「セイジは飾り気がなく気さくでいい奴だったが、まさにスーパースター。カツヒコはイタズラ心が旺盛なおもしろい奴で、典型的な外交官よりはリラックスした性格の持ち主だった」と笑う。ラグビーを通じた日本と英国の友情の架け橋をサポートし続けるクラーク氏は、今年も故人との友情を懐かしそうに振り返っていた。