熊洞寿哉(くまほら・としや)は自分の道を定めた。大学3年。立命館に在籍する。
「最近、決断しました。アナリストとして上のレベルでやっていけるようにしたいです」
アナリストはアナライザーとも呼ばれ、日本語では「分析」。タックルやボールキャリーの回数、その精度などを測り、彼我の攻守を数値化する。そして、勝利につなげる。
きっかけを作ってくれたのは、「サクラフィフティーン」と呼ばれる15人制女子日本代表だ。熊洞は10月31日から11月23日まで、秋の欧州遠征に分析のインターン(見習い)として帯同した。
「自分にとっては初めての海外でした。選手やスタッフのみなさんには感謝しかありません。失礼なことですが、女子の知識がない状態で行きました。それなのにそんな僕を受け入れ、助けてくれました」
ロックの玉井希絵や佐藤優奈はラインアウトの成功率を出すことなどを「一緒にやりたい」と言ってきてくれた。
「自分たちで課題を作り、克服する、ということが文化になっている気がしました」
遠征はウエールズに5−23、スコットランドに12−36、アイルランドに12−15。結果的には3戦全敗も、熊洞が得たものは大きい。
道を作ってくれたのは立命館ラグビーの先輩だ。竹内佳乃(よしの)。現在は三重Honda HEATのアナリストである。熊洞を帯同者として推薦する。
竹内は日本にいながら、遠征中の熊洞の仕事を手伝った。ロンドンとの時差は9時間。昼間の試合、鈴鹿は深夜である。さらに本業もある。それでも、5学年下の後輩のために心を砕いた。
「竹内さんは試合を映像で見ながら、コードを打ってくれました。本当にありがたく、助かりました」
コードを打つ、とは試合中に起こったスクラムやラインアウトなどを試合全体の時間軸の中でピン留めすることを差す。熊洞は試合翌日、首脳陣に分析結果を渡さなければならない。竹内のサポートは大きかった。
他国の分析担当とは当然ながら英語で意思疎通を図った。
「簡単な言葉しか使えませんが、気持ちで行きました」
片言でも相手に理解しようとする気があれば伝わる。そのことを知る。
熊洞の出身は北関東。群馬の県庁所在地、前橋である。中学までは野球。前橋育英に入学してから競技を始めた。
「体をぶつけることが好きでした」
ポジションはナンバーエイト。3年時の花園県予選は8強で破れる。97回大会(2017年度)は桐生第一に7−24だった。
一浪後に立命館の理工学部の物理学科に入学する。ラグビーの活動を含めたキャンパスは滋賀の草津。熊洞という珍しい名は同じ県内の長浜から出ている。
「おばあちゃんによると僕は10代目になるらしいです」
今過ごす場所には元々、縁があった。
大学ラグビーでは裏方の道を選んだ。
「僕のサイズは173センチ、84キロ。選手としては力になれないと判断しました。分析を選んだのは当時は教員になる夢もあって、顧問になったら生かせるかな、と思いました」
理系脳にとって、数字やグラフが飛び交う分析はもってこいである。
分析の部員は6人いるので徹夜ということはほぼない。
「部室のソファーで横になるくらいです」
ひとつ上の最上級生には稲西輝紀、長田太郎がいる。2人を差し置いて、熊洞が欧州遠征に帯同できたのは、「来秋に延期されたワールドカップまで通しで携わってほしい」というチームからの要請に基づいている。
熊洞はチームレフリーも兼務している。
「分析をする中でレフリーに対応して反則を減らせたらうれしいですね。ペナルティに詳しくなりたい思いもあります」
資格はまだ有していない。コロナのため、2年連続で入り口となるC級レフリーの認定会がなくなった。
立命館GMの高見澤篤は熊洞の成長を絡めながら話す。
「ウチの強みはタッチライン外の学生のレベルが上がってきたことです。分析しかり、レフリー、ストレングス、トレーナーなど。コーチの赤井の功績が大きいです」
チーム運営の軸となる高見澤は、ディフェンスコーチの赤井大介の教育を評価する。
その赤井の影響を熊洞は趣味にも受ける。
「キャンプですね。ひとりで琵琶湖の周囲でやります。1年の冬に赤井さんがBBQに誘ってくれました。外にいるのは楽しいです」
貯金をしてテント、シュラフを買った。気分転換できるものも持っている。
立命館は今季、関西リーグで3勝4敗、勝ち点14の5位だった。大学選手権には順位的にひとつ届かなかった。
「今回は遠征でチームの力になれず、申し訳ない思いはあります」
チームは経験を還元してもらう狙いもあって、快く送り出した。この言葉は不要だが、人間性のよさが垣間見える。
分析を人生の仕事に定めた熊洞。そこに就く立命館出身者は2人。竹内と齊野翔(さいの・かける)だ。齊野は熊洞の3年先輩で花園近鉄ライナーズに所属する。この2人に続くためにも、2022年、女子日本代表、そして、立命館を好結果に導いてゆきたい。