これは抜擢ではない。自然な流れである。
明大ラグビー部1年の福田大晟が、大学選手権の準々決勝でリザーブに登録された。シーズンが本格化した秋以降にあっては、初のメンバー入りである。
「今週(12月20日以降)のミーティングで発表されました。最初は緊張しましたが、選ばれたからには選ばれなかった人の分まで責任を果たそうと思うようになりました。自分の持ち味のディフェンスから起点を作る。チームに勢いを出したいです」
ノックアウトステージの大一番。12月26日に東京・秩父宮ラグビー場であるこの一戦では早大に挑む。加盟する関東大学対抗戦Aでぶつかり、7-17で負けた相手だ。ここを乗り越えても、関東大学リーグ戦1部首位の東海大、対抗戦で敗れた帝京大といった強豪とぶつかる可能性がある。
就任1年目の神鳥裕之監督は、頂上決戦に必要なサムシングをルーキーに求めた。このジャッジに関し、こう強調する。
「この先、勝ち進んで(対戦が)想定されるフィジカルの強い相手に対し、彼の力が必要になる。このタイミングで、緊張感のある時間を経験させたいと思いました。ゲームから離れていることへの声(意見)もありましたが、彼がここ半年間で示した実績、実力はチームで認められていました。代わりに外れるメンバーがいる難しさもあったなか、チームにとって何が一番いいかを考え、最終的に私が決断しました」
というのも福田大晟は、春先からFLのレギュラーに定着していた。中部大春日丘高の前主将は、身長173センチ、体重97キロと小柄もタフだった。強烈なタックルと運動量を長所とし、SHの飯沼蓮主将からも太鼓判を押された。
「1年生で『いないとヤバい』と思われる選手ってあまりいないと思うんですけど、彼はすごい。インパクトがある。あんなタックルができる人、他には山本凱(慶大副将で強靭さに定評がある)くらいしかいません」
秋はけがで戦列を離れた。対抗戦開幕前、慶大と練習試合をした時のこと。「逆ヘッド」と呼ばれる、相手の下敷きになりやすいタックルをしてしまった。
YouTubeの部員限定チャンネルでそのゲームの配信を観ていた両親には、実家の愛知から東京へ飛んできてもらった。申し訳なかった。
「やっちまったな、というのが第一の心境で…。あのままいけば(対抗戦に出る)チャンスも巡ってきたであろうなか、自分のプレー、自分のけがで無駄にしてしまった」
5日間の入院生活を終えると、「ここにいても4年生とかに迷惑がかかる」と約2週間、帰省した。都内の寮へ戻ってからも、しばらくはジョギング、バイクトレーニングで汗を流すほかなかった。対抗戦期間中は、同期の木戸大士郎が先発FLとしてプレーするのを見つめていた。もどかしかった。
「春から7番(先発オープンサイドFL)で試合に出続けるのを目標にしてきたので、悔しかったです。木戸のことは応援していましたが、自分が出たい気持ちもありました」
不幸中の幸いは、後遺症と見られる違和感が少なかったことか。競技復帰が叶ったのは12月上旬。対抗戦を5勝2敗の3位で終えたタイミングだ。1年目から主軸になろうと決意していた福田大晟は、与えられた練習機会に全力を注いだ。
「監督からは『焦るな。ちゃんとけがを治してからチームに戻って来い』と言われていました。リハビリの段階を踏んで徐々に身体を動かしていって、(練習の)強度を上げていきました。今年はもうキツいかなと思うこともありましたが、(負傷箇所の)調子もよくなってきていた。まだチャンスはあると思って、自分の持ち味をアピールしていきました」
復帰に際し、神鳥監督は「専門家の方々のご意見、客観的に見た回復プロセスが非常にポジティブだった」とも話す。
「かつ、本人の気持ち、復帰後約2週間のプログラムへの取り組みを踏まえ、十分にゲームで使えると判断しました」
紆余曲折を経て戻ってきた背番号20。激しさを保ちながら、再発防止も誓う。
「また逆ヘッドに行ったら、親とかにも迷惑をかける。基礎の部分を見つめ直し、もうけがをしないようにしたい」
当日は、正しいスキルでライバルに刺さる。