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【ラグリパWest】ラグビー・スピリッツ。西村将充 [コカ・コーラレッドスパークス元採用担当] 

2021.12.09

コカ・コーラ レッドスパークスの選手や採用として活躍した西村将充さん。チームは廃部になったが、会社に籍を置き、副業もしながら、ラグビー精神でまい進する



 チームが消えても、ラグビーで培ったそのスピリッツは残る。西村将充(まさみつ)は言う。

「ラグビーのよさは自己犠牲の精神。嫌なところに飛び込む。率先してやる。セービングはその最たるものですね。ラグビーをやってよかった。よかったですね」

 形容詞を重ねるところに満足感の高まりがある。コカ・コーラレッドスパークスでは現役引退後、採用を任された。現役時代はセンター。177センチ、90キロの体を利したコンタクトプレーを得意とした。

 今は福岡・薬院で社業に専念する。コカ・コーラ ボトラーズジャパンのCSV推進部にいる。アルファベット3文字は<Creating Shared Value>の略である。

「簡単に言うと、社業を通じて、社会課題を解決していく部署ですね」
 企業として利益のみを追うのではなく、その社会的な存在意義を考え、行動する。今年11月には東福岡の付属中である自彊館(じきょうかん)で、取り組んでいる海洋プラスチックボトル問題について話したりもした。社として新しい分野でも躊躇せず飛び込む。

 西村にはもうひとつの顔がある。ウエイトトレーニング器具を扱うザオバのセールスアドバイザーだ。
「会社には兼業制度があります」
 赤色が鮮やかな<BULL>のブランド。ラグビー界では日本代表やHonda HEATなどが導入している。

「大学生のリクルートで夏合宿の菅平に上がった時にブースが出ていました」
 仕事の合間にトレーニングをさせてもらう。44歳の今でも、ベンチ160キロ、スクワット230キロを差し挙げる。

「廃部の時、心配したザオバの人から電話をもらいました。その時に、よかったら手伝ってもらえないか、と話がありました」

 廃部の公式発表は今年4月30日。トップリーグから新装されるリーグワンへの参入を取り下げる。理由は本業の飲料ビジネスに特化することによる改革の一環と説明された。コロナ禍による業績悪化もあった。

 レッドスパークスの創部は1966年(昭和41)。当時、17社あったボトラー社のひとつ北九州が作った。各ボトラー社はコカ・コーラの原液を現在の日本コカ・コーラ社から買い、販売する。フランチャイズ制だ。4年前、ボトラー社は5つに収れんされ、西村の所属するコカ・コーラ ボトラーズジャパンは最大になった。北海道、東北、北陸、沖縄以外を傘下におさめる。その結果として、ラグビーへの関心は薄くなる。56年目でチームは消滅する。

「発表の2日前に話を聞きました。無名の僕を引っ張り上げてくれ、めしを食わせてくれたクラブ。非常に残念でした。ただ、会社の人たちも考えた末のことでしょう。気持ちを切り替えていくしかありません」



 入社は2000年。4年後、向井昭吾が監督になる。東芝府中(現・東芝)では日本選手権3連覇、就任1年前には日本代表監督として第5回のワールドカップも指揮した。
「ぼろ雑巾のようにしぼられました。寝て起きて同じメニューが2時間続きました」
 向井は2季で最上に引き上げる。チームは2006年度から12季をトップリーグで戦う。最高位は2009年度の8位だった。

 西村は2007年度シーズン終了後に現役引退。採用として11季を過ごした。早大からは有名選手だった豊田将万(まさかず)、有田隆平、山下昂大(こうた)をUターンさせた。3人とも東福岡出身。豊田はナンバーエイト。会社に籍を置き、九産大の女子ラグビー部の監督になった。有田は神戸製鋼でフッカーとして現役を続けている。2人の日本代表キャップは同じ9。フランカーだった山下は早稲田佐賀高の監督になった。

 西村が競技を始めたのは小2。熊本ラグビースクールだった。父・邦昭は指導員の知り合いが多かった。中学では野球やり、熊本工に入学後、再び楕円球を手にする。

 2年でセンターの定位置をつかみ、花園に出場する。74回全国大会(1994年度)は2回戦敗退。國學院栃木を18−13で降し、男鹿工に10−22で敗れた。

 大学は國學院に進む。
「松岡さんのおかげです」
 松岡公法(きみのり)は高校の2つ上。大学のみならず、社会人でも引っ張ってくれる。それは西村の人間性を語る。松岡は現役時代、ロック。引退後はレッドスパークスのコーチもつとめた。

「当時の國學院はリーグ戦の三部と四部を行ったり来たりでした」
 西村は振り返る。取材に立ち会った広報部長の石山道亮(みちあき)は覚えている。
「一緒に試合をしましたよね」
 石山は駒澤のOBでもある。

 今の國學院は伊藤護を監督に据え、二部で戦う。伊藤は東芝出身のスクラムハーフとして日本代表キャップ16を持っている。

 國學院は強くなり、レッドスパークスはなくなった。西村はこれからを見据える。
「ラグビー選手の出身らしく、すかっと、さわやか、カチッとした男でありたいですね。クラブの思い出がなくなるわけではありません。一生、自分の中に残りますから」

 以前のキャッチコピー、<スカッとさわやかコカ・コーラ>を使うところに、愛社精神が透ける。熊本の旧国名は肥後。住人は純粋で正義感が強く、よい意味で頑固な「肥後もっこす」として例えられる。西村はその血にラグビーをブレンドさせた。高い人間性はチーム存廃の影響を受けることはない。