ラグビーの写真はいつから?
「平成2年から撮っています」
松岡征人(ゆくと)は日焼けした顔をほころばせる。元日に喜寿を迎えるとは思えない明るさがある。
平成2年は1990年。ラグビーマンを追って32年目だ。生まれも育ちも山口県。被写体はその地に生きる高校生が中心。公的な肩書は<山口県ラグビーフットボール協会 記録員>。ただ、その活動はボランティアである。
「高校の同期に頼まれたら、嫌とは言えん」
ラグビー沼にはまった動機をそう話す。山口水産で机を並べたのは高田隆。その息子が山口高で楕円球を追う。この県立校の創立は1870年(明治3)。明治維新の主となった長州藩の気概を継ぎ、岸信介、佐藤栄作と卒業生から2人の首相を出した。ラグビー部は旧制中学時代を含め6回の花園出場を記録する。地元では「やまこう」と親しまれている。
松岡はラグビー経験者ではない。
「高校時代、興味はなかったです」
山口水産は2011年、大津、日置農業と統合され、大津緑洋に変わる。花園出場はこの年末に開幕する101回大会までで31回。緑洋4、水産8、大津19の内訳になる。
高校卒業後、山口県警に事務職として奉職した。当時、上司だった係長に言われた。
「文章も書けん、字もへたくそ、カメラでも持ってやれ」
社内報のようなものに携わる。そこから数えれば、写真に関わって半世紀以上になる。
最初のカメラはペンタックスのSP。今と違ってオートフォーカスではない。自分の指で素早く対象物に対して焦点を合わせないといけない。瞬時に作品の良しあしも判断できない。デジタルではないため、暗所で紙に焼き付ける現像が必要だった。
「シャッターをきちっと落とすため、振り子時計で練習をしました。振り子が6の所に来るところを狙いました。ピントが合うまで半年以上はかかったと思います」
県警内では厚生課や運転免許課、鑑識なども経験する。
「止まったものを撮るのは苦行です」
ラグビーは動く。鑑識での静物よりのめり込んだ。
四半世紀前、1996年にはカメラもオートフォーカスに変えた。
「今の上皇ご夫妻が山口に行幸された時、暗い場所ではピントが合わせにくくなった。それで買い換えました」
現在、愛用するのはキヤノンのEOS 7D MarkⅡ。言わずと知れたリーグワンのイーグルスの親会社である。
その間、家庭的には幸福ではない。家族は5人いた。6歳下の妻・秀子と3人の子供。次男の正明は6歳の時、事故で亡くなった。
夫婦の名から1文字ずつとった長男・秀征は山口高に合格し、ラグビー部に入った。フルバックだった。1年夏の合宿で破傷風になる。それが元で退部。部に影響力のあった河野俊貞は名誉の負傷としてOBとして遇する。河野はOBの内科医。県ラグビー協会会長としてその普及・発展につとめた。
その秀征も正明と同様、事故で亡くなる。
「もう20年ほどになります。河野先生が追悼のため、管弦楽部を呼んで、紅白戦を企画してくれました。本当にありがたかった」
今は娘の清恵ひとりになった。
「娘がいてくれるから、松岡家はつながっています」
亡き長男が選んだラグビー。退部後もOB扱いにして、追悼の試合もしてくれた。松岡は競技そのものに恩義を感じている。撮影を奉仕とするのはその思いもある。
「プレゼント。子供もよろこぶ、親もよろこぶ」
高校だけではなく、ラグビースクールや大学の写真も撮る。弱いチームにも対応する。
「強いところは撮る人が来るじゃろうから」
グラウンドには日本代表が勝った2回のワールドカップを経て、カメラマンと称する人間の数が増えた。
「コンテストに出して賞をとろうとする人が来だしました。プロというても、並んでいる写真を撮るだけの者もいる。これでゼニとるんか、と言いたくなります。わしはラグビーを愛して撮りよるんよ。ただ撮るんやない」
ラグビーのよさを口にする。
「教育の一環。社会人になると役に立つ」
合宿での掃除、洗濯。ジャージーやスパイク、道具などの整理整頓。自分のチームだけでなく、他者に対するあいさつや礼儀作法なども含まれる。
「自分のチームを強くさせるだけじゃなく、相手のチームも上達させる。それは技量だけではありません。学年が上がれば、おとなしかった子が、自分の意見を言うようにもなってきます。そういう成長もあります」
この2021年、松岡には厄が多かった。3月、アキレス腱を切った。家庭菜園で足を滑らせる。がんの告知も受けた。治療を受け、現在は経過観察中にある。
「先読みして、選手が向かってくるところに行く、それができなくなった。迫力ある写真が撮れなくなったことが残念です。でも依然として撮れるよろこびは感じています」
今年は3回、県内で個展を開いた。高校の公式戦にも顔を出した。
「子供たちと接していると元気をもらえます」
年を重ねようが何をしようが、あくまで一カメラマンとして現場に立つ。ひとつことを貫き、無償でやる姿は後進たちのお手本である。若い人たちはいずれ松岡の偉大さがわかる時が来るだろう。