昨季の日本一を知るメンバーのひとり。
天理大の4年生、FL服部航大(こうき)が黒衣のジャージーを着られるのも、残りわずかだ。
11月20日、天理大は京産大に敗れ2敗目を喫する。関西リーグの連覇は5で途絶えた。
失意の中でも、チームを鼓舞し続ける存在でありたい。
服部は絶望の淵から這い上がってきた。だからこそ、いま力になれる。
男女男女男の5人きょうだいの末っ子。
一番上の兄とは12歳離れる。2人の姉も含め、みんなラグビーをやっていた。
服部も3歳から布施ラグビースクールに通い始める。小阪中でラグビーは辞めるつもりだった。
「ラグビーで食べていくのは無理かなと」
それでもオール大阪の選考会で天理高校の松隈孝照監督に声をかけられ、進路が変わった。
天理高3年時、今度こそラグビーは最後と思っていた。だけど最後の花園予選、御所実に負けて気持ちが揺らぐ。19-0で折り返した後半。15分から3トライ取られて敗れる大逆転負けだった。
「やり切ったけど、あんな悔しい思いしてラグビー辞められへんと」
漆黒のジャージーで戦うことを決意した。
それなのに。天理大での生活は苦しい日々だった。
入学直後、大体大戦で右膝の前十字靭帯を断裂。1年かけて復帰も、2週間後にまた同じ靭帯を断裂した。
その落胆たるや想像に難くないが、試合に出たい気持ちが上回った。そのために大学でも続けることを選んだからだ。
「ここで絶対腐ったらあかんと思ってました」
闘志は消えなかった。
「ずっとグラウンドの練習見ながらこいつらには絶対負けんぞと。復帰したらすぐ出たると思って、リハビリをずっと続けられた」
ラグビーができない分、ウエートだけは目一杯取り組んだ。いろんなメニューも探り、毎日続けた。
「トレーニングにハマりました」
3回生の6月にようやく復帰。その後も大変な道のりだった。
「まず早いテンポでボールをキャッチできない。ディフェンスのシステムも忘れてました」
2か月後に部はクラスターを起こす。夏合宿もなくなり、アピールの場は失われたかに思われた。
「寮に残るか実家に帰るか選べました。でも寮に残る組にAチームの方が多くて。練習が再開された時に、Aの練習に参加させてもらえた」
そこでチャンスを掴んだ。帰宅組が合流したあとのチーム分けでも、そのままAチームに残れた。秋には公式戦デビュー。リーグ開幕戦から全試合でフル出場を果たし、日本一の歓喜も味わった。
「タイミングがすべて良かったです。コロナでしんどかったですけど、それがなければ残れてなかった」
服部本来の持ち味はボールキャリーだ。でも昨季はボールキャリーの強い選手が揃っていたから、ブレイクダウンでのサポートを主な仕事場にした。
今季は立場も変わった。もっと相手を吹き飛ばすようなパワフルなキャリーを見せたい。第5節の関学戦でプレイヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれたけど、まだまだ納得のパフォーマンスはできていない。
日本一を知るメンバーとして、やらなければいけないこともある。
「去年は久しぶりにラグビーをやれて、松岡(大和)さんや先輩方が声を出して盛り上げてくれた。そういう雰囲気で試合をやるのが楽しかった」
同じフランカーとしてチームを牽引した松岡大和主将を一番近くで見てきた。その凄みも分かっている。
残りの試合、厳しい時間帯や苦しい場面でどれだけ声を出せるか。
苦しみを十分味わってきた服部だからこそ、届く言葉がある。
「次は僕の番です」