11月21日。御所実業はライバル・天理との対決を28―5で制し、3大会連続の花園行きを決めた。
下馬評では天理優勢。今季の御所は1月の新人戦と5月の春季大会、いずれも天理に敗れていた。
「2敗していた相手なので、3敗はできない。しっかり勝ち切ることにこだわりました」
そう語るのは今季、御所を率いるスクラムハーフの山本晴大(はると)主将。162㌢、65㌔の体躯から出る強気なプレーとタックルで魅了する。言葉通り、3度目の勝負でリベンジを果たした。
「主導権を握るために、前半10分は自分たちがスコアすると考えながらプレーしていました」
その山本が自ら先制トライを挙げる。
開始早々、2分だった。ラインアウトモールで前進し、敵陣22㍍内まで進入。そこから山本が持ち出して、迫りくるタックルをかわしインゴールに入った。
現役時のポジションがSHの二ノ丸友幸コーチも「今日のファーストトライはチームが求めているものだった。満足しています」と教え子をめでた。
その後も、ピンチの場面でジャッカルを決めるなど、要所での活躍が光る。
「ハーフは一番余裕があるので、FWが少しでも休憩できるように、自分も体を張ることを意識しました」
山本は沖縄の宮古島出身。本格的にラグビーを始めたのは高校からだ。ダイビング事業をおこなう父・大司さんの影響で、小学3年ごろからラグビーと出会った。
それでも宮古島にはラグビースクールがなかったから、ラグビーに触れるのは不定期。沖縄本島のラグビースクールにスポットで参加したり、夏休みに父のつながりで岐阜のラグビースクールに行ったりもした。
中学でもラグビー部はなかったけれど、地元のクラブチームに社会人に交じって参加していた。
そんな環境でも高校からラグビーを志したのは、「細川先生の影響も大きかったと思います」と大司さん。細川明彦先生(現・京都工学院コーチ)は宮古高で熱心にラグビーを教えていた。
山本が中学の途中からバスケ部に所属したのも、今後のラグビーに生かすためだった。
御所とのめぐりあわせは、中学2年の冬だった。
沖縄県ラグビー協会50周年を祝う招待試合が開かれ、そこに御所が参加していた。
「試合を見て、ここでプレーしたいと思いました」
誘われたわけではない。自分から熱意を伝えた。
二ノ丸コーチは入学当時を振り返る。
「素人だったけど、身体能力はずば抜けていた。今日(予選)で終わらせたくないなという思いもありました。全国で見せたい逸材」
2年前までほとんどラグビー素人だった山本主将が、今年100人近い部員がいる強豪校を率いて花園に出る。
目標は当然、日本一だ。
「先輩たちができなかった竹田先生の胴上げを成し遂げたい」
宮古島からラグビー強豪校へ。次は全国の舞台で輝く。