「めちゃくちゃ緊張してます。寝られない日が続いてます」
筑波大の4年生、鈴村淳史は11月27日の決戦に向け、張りつめた思いを吐露した。
関東大学対抗戦もいよいよ大詰め。筑波大は最終節、大学選手権最後の一枠をかけて、日体大と対戦する。筑波大の勝ち点は14、日体大は10。筑波大は8点差以上離されて敗れると、大学選手権出場を逃す。試合前から緊張感が漂う一戦だ。
筑波大の正SHを担う鈴村は、直近の2試合でプレイヤー・オブ・ザ・マッチに選出された。試合終了間際にドロップゴールで逃げ切った青学戦(24―21)では2トライ、27―20とこちらも接戦に持ち込まれた立大戦では全4トライを挙げた。
「青学戦は活躍できたかなと思います。でも立教戦はFWのおかげ(すべてモールを押し込んでのトライ)。謝りながらもらいにいきました(笑)」
青学戦ではゴール前のラックサイドを突いたのが1トライ目、2トライ目は意表をついたクイックスタートで走り切った。
「競ったゲームの中でチームに良い流れをもたらせるように、強気の判断をしました。自分の持ち味はランとキック。青学戦ではそれが出せたと思います」
ただBK全体のアタックは「厳しいですけど20点」と辛口。ゲインはできても、クリーンブレイクが少なく、なかなかスコアにつながらなかった。
「BKで取り切れないのは、オーガナイズしないといけない自分としても不甲斐ないところです。2試合とも詰めてくるディフェンスをうまくかわせなかった」
今季は明大戦を除き、上位陣と好ゲームを演じていただけに、下位チームとの接戦は想定外だった。ただ勝ち切れたことはポジティブに捉えたい。
「青学戦では自分たちの強みだったディフェンスで食らってしまって動揺した。でも最後に勝ち切れたことは大きいことで、今後日本一を目指すうえで大切になる」
鈴村は名古屋ラグビースクールで小学2年からラグビーを始めた。早大ラグビー部のSH河村謙尚は同期にあたる。高校は中部大春日丘に進み、1年時から9番を背負った。
3年時は3回戦で報徳学園に5―12で惜しくも敗れ、初の8強入りを逃した。鈴村は1年限定で、スタンドオフで出場した。「スタンドにしか見えない景色を見られたのは、ハーフに生きてます。正直、当時はハーフでやりたい気持ちもありましたけど、宮地(真)先生があえて使ってくれたことに感謝しています」。
同ポジションの先輩、杉山優平(現東芝)に憧れ筑波大に入学。1年時からその杉山の控えに入り、対抗戦デビューを果たした。不運が襲ったのはその直後だ。
成蹊大戦に出場した翌日の日大戦(ジュニア戦)で頸椎を損傷。約1年のリハビリを経て復帰も、11月上旬の成蹊大戦にリザーブで出場して、それから一度ラグビー部を離れた。
「左手の痺れが残っていて、上手くパスができなかったり、タックルに入れなかった。ラグビーがうまくいかず、考えこんでしまった」
3か月で戻って来られたのは、ラグビーへの思いが消えなかったからだ。
「ラグビーをしていない自分を客観視するとおかしくなってきて、ラグビーをやってこそ鈴村淳史なんだと。ラグビーしている姿をイメージできていたので、また始められました」
3年時は対抗戦全試合に先発。完全復活を果たした。最後の対抗戦となる日体大戦では主将のFB松永貫汰が鼻骨を骨折して控えに回っているから、4年生の鈴村にかかる責任も大きい。
「立教戦のあとに日本一への情熱が足りていないと4年生で話し合いました。(日体大戦は)もう一度、意思統一した4年生がどれだけ引っ張れるかだと思っています」
鈴村にとって選手権の決勝の舞台で戦いたい思いには、特別な理由がある。
「最近まで、危ないスポーツだからやめなさいとしょっちゅう電話をかけてくるくらい心配していたおばあちゃんが見に行きたいと言ってくれました。まだ自分のプレーを一度も見たことがないんです。コロナでなかなか現地で見るのは難しいから、地上波で見られる決勝戦に駒を進めないと」
鈴村は大学を最後に、ラグビーを終える。祖母に見せる最初で最後のチャンスを逃したくない。ここで負けるわけにはいかない。