ラグビーリパブリック

磐城24-17松韻福島。サラブレッドの決意。10年ぶり花園行きの磐城高、松韻福島高との決勝で「出し切った」。

2021.11.13

10年ぶりの花園きっぷをつかんだ磐城(撮影:髙塩隆)

 ゴーグルを外す。表彰式を終えて報道陣に囲まれ、涙を流す。

 磐城高ラグビー部主将の上遠野晶太は、11月13日、地元の福島にあるJヴィレッジスタジアムで全国大会の県予選決勝へ出ていた。昨季王者の松韻福島高に24―17で勝った。

「チームには迷惑をかけたので…」

 9番をつけたチームリーダーは、6日の準決勝で顔の怪我から復帰したばかりだった。

「ずっと目標だった花園なので、優勝できてうれしい」(磐城・上遠野主将/撮影:髙塩隆)
磐城の屋台骨を支えるフロントロー(撮影:髙塩隆)
ゴールラインを越え雄叫びを上げる松韻福島(撮影:髙塩隆)

 故障した9月中旬は「全治2~3か月」と言われ、「やばい、予選、出られないって、取り乱したりもしました」。大会期間中のカムバックが叶ったのは、手早く病院を手配してくれたチームスタッフ、目を守るゴーグルを取り寄せた家族のおかげだと感謝する。

「自分が怪我をしたのを仲間がカバーしてくれた。支えてもらった分は恩返ししなきゃと思っていました」

 この日は前半3、12分、自陣深くに封じ込められ、失点する。松韻福島高は接点周辺へ10人以上が寄り、局地戦を仕掛けてきた。磐城高は19分まで、7―12とリードされていた。

 しかし上遠野は10分、敵陣中盤で密集脇を切り裂きチーム最初のトライをマークしていた。さらに12―12と同点で迎えた21分頃には、自陣中盤右からボックスキックを蹴ってハーフ線付近で守備網を作る。

 お家芸のモールを組もうとした松韻福島高は、たまらず反則を犯す。磐城高はさらに陣地を獲得し、長らくもその近辺に居座る。

 そしてハーフタイム直前、敵陣ゴール前での速攻からインサイドCTBの鈴木心がフィニッシュ。17―12と勝ち越すと、ハーフタイム明けにもテンポのよい攻めで24―12と加点する。

 わずか7点リードで迎えたラストワンプレー。向こうが敵陣ゴール前右でのラインアウトを乱し、ノーサイドを迎える。

「前半の終わりくらいからふくらはぎがパンパンになって、あ、これはやばいなと。だまし、だましやっていました。最後は本当に出し切っちゃったので、表彰式の時は申し訳ないけど…とこう(足を伸ばす動き)しました」

 勝った主将はこう笑い、左PRとして攻守に奮闘の武田龍斗はただただ安堵した。

「自陣で試合をしていたら辛くなる一方。そこから全力で脱出しようとしました。作戦通りです」

 東大阪市花園ラグビー場(現名称)での全国大会へ出るのは、10大会ぶり18回目となる。

 最後に出たのは東日本大震災後の2011年度。当時は小学生だった上遠野も、現地で応援していたという。父の博、さらには兄の峻も磐城高ラグビー部OBという現主将。幼稚園児の頃から中学卒業まで勿来ラグビースクールに通い、「ラグビーを続けるなら磐城高で」。家族の言葉を冗談交じりに明かす。

「磐城高に行かないなら部活は何でもいいよ、と言われていたくらいで」

 行く先は県下有数の進学校とあり、一定の学業成績を保ってきた。競技実績を考慮される「Ⅰ期選抜(現在の「特色選抜」の前身)」を受けるにも、一定の基準が求められた。

「それでも合格ラインはギリギリで。当時の担任の先生からも、『入ったら大変だよ』と言われていました」

 いざ門を叩けば、「練習時間は1日最長2時間半」「塾通いはOK」(以上、周辺取材による)というクラブで、充実した暮らしを重ねる。

 全国大会初日の約2週間後に大学入学共通テストがあるため、遠征時はテキストを持参。ひとつずつ願いを叶え、人生の序盤戦を彩る。