かつては大阪府花園予選決勝の常連校だった都島工が今秋、3年ぶりに単独チームに復帰した。OBにはコベルコ神戸の山下裕史(日本代表キャップ51)をはじめ、クボタのSH谷口和洋、CTB中田翔太らがいる伝統校だ。
春までは汎愛と合同チームを組んでいたが、お互いに部員が集まり単独出場が叶う。都島工は14人の2、3年生に加えて、8人の1年生が入部した。
9月26日に花園予選初戦を迎え、22人が久しぶりに白紺の縞のジャージーに袖を通す。金光藤蔭に10-50で敗れたが、後半は7-12と健闘した。
赴任して9年目の山本雄史監督が少人数チームの苦労を語る。
「試合前はコンタクトスーツを着てケガしないようにと、なんとかやってきました」
山本監督は長らく都島工を率いた瀧林賢次元監督からバトンを受けた。部長としてチームに関わる時間がほとんどだったが、昨年から監督に戻る。
翌週におこなわれた大阪市立大会で3年ぶりに優勝し、3年生8人は引退。新チームは再び14人となり、汎愛との合同チームで再出発した。新たにチームを引っ張る2年生6人の中に、ひときわ大きな選手がいる。
川部剛大(こうた)は今年のTIDユースキャンプ(Bigman & Fastman Camp)のメンバーに選ばれた。190センチ、120キロ。将来有望な大型LOだ。
「中学の試合でめちゃくちゃ大きいアシスタントレフリーがいると。当時から話題になっていたんですよ(笑)」と山本監督が振り返る。
川部がアシスタントレフリーをやっていたのは、自身が通う東陽中にはラグビー部がなかったからだ。
「ラグビーは顧問の先生が誘ってくださって、相生中でやっていました。特別参加という形だったので土日だけの参加で、公式戦も出られなかった。それでタッチジャッジをしていました」
いまでも少しずつ伸び続けているという身長は、小学校卒業時ですでに180センチあったという。学校でもダントツだった。中学卒業時で180センチ台後半に、そして現在の190センチに至る。
「お父さんもお母さんもそんなに大きくないので(どうして伸びたか)分からないです。牛乳もそんなに好きではないですし(笑)」
ラグビーを始めたのは小学1年からだ。ラグビー選手だった父親の影響を受け、大阪中央ラグビースクールに通い始めた。
「体験に行った日がちょうどクリスマス会で、それが楽しかった。せっかくなら来年も参加して景品もらいたいなと思って(笑)」
小学5年で柔道クラブにも並行して通ったのは、ラグビーの練習試合で頭を打ったから。「受け身をやらないとやばいぞと」。中学でも柔道部に所属した。
中学ではラグビーを全力でやれなかった分、高校では本腰を入れてやりたかった。都島工に進学した理由もそのひとつ。理数系が得意だったことも選択を後押しした。
高校では中学との違いに戸惑うこともあったが、大きく異なるセットプレーでその体躯を思い切り生かせた。
「スクラムはまだ背中が丸まってしまうこともあるけど、ラインアウトはどこにも負けない自信があります。フィールドプレーでも体重があるから前に出られる」
受験太りで130キロ近くまであった体重も、この1年で絞っていまは120キロで落ち着いた。不器用な面もあるが、ボールキャリーには迫力がある。
今回参加したBigman&Fastman Campには、川部と同じ大阪中央RS出身の大産大附2年のWTB上井祐紀や大阪桐蔭1年のPR野村俊介がいた。「基礎が大事なのをあらためて感じました」と話す。
伊藤矢一FWコーチ(興國高監督)からは3v3、5v5、8v8と少しずつスクラムの人数を増やしていく変形スクラムのやり方を教わった。
「新チームは特にFWが少ない。それでも正しくスクラムが組めることを知れたので、ありがたかった」
いまはメモしたことを部員たちに伝える難しさと格闘しながら、成長を実感している。
2回のセッションを終え、「俺選ばれたんや」と自信もついてきた。遠慮がちだったプレーも変わりつつある。
「先輩がいなくなってほかに誰がいくんだ、という状況にもなりました。もっと自分が前に出るプレーをしないと」
大学でも競技を続けたい。そして生涯を通じて関わっていきたい。どんな人にでも適切なポジションがある、そんな普遍的なラグビーの魅力を感じている。
だから伊藤コーチに「動きが悪くてチーム内では肩身が狭いこともあるかもしれないけど、デブは宝だ」と言われ、大きく頷いた。
*タイトルの川部選手のお名前に誤りがありましたので、お詫びして訂正いたします(11/09_1220)。川部選手ならびに関係者のみなさま大変申し訳ございませんでした。